すべての夢のたび。

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『生と死の境界』スーザン・ブラックモア

生と死の境界―「臨死体験」を科学する

生と死の境界―「臨死体験」を科学する


スーザン・ブラックモアの本を読むのはこれで3冊目。和訳のある中ではいちばん古い本です。既に絶版で古本でしか入手できません。しかし、これは良い本でした。臨死体験についてあまり世には知られてない話が書かれています。

現代科学はどこまで臨死体験を説明できるか。「死後の生説」「脳内現象説」など、20年間にわたって論議されてきた様々な学説を紹介し、科学的に、心理学の立場から臨死体験の解明をはかる。


臨死体験というものには、文化や宗教、人種を超えて、一定のパターンがあるように見受けられます。そして、それを根拠に、死後の世界の存在を主張する人たちがいる。けれどこの本では、臨死体験特有のパターン、例えば「光のトンネルを抜ける」「安らかな気分になる」「体の外に抜け出す」「走馬灯を見る」などについて、それぞれ、それがなぜ起きるのかを「科学的に」解き明かしてしまいます。

そして、それが仮説に留まらないのです。実際に、死への接近の仕方、心臓麻痺なのか、溺れたのか、交通事故か、それによって、臨死体験のパターンが似たものになるケースが多いことも、この本では報告されています。

例えば光のトンネルは、大脳皮質視覚野が酸欠状態になり脱抑制が引き起こされたときにのみ、見ることができる。脳溢血で臨死状態になった人からは光のトンネルは報告されない。例えば自殺未遂者は走馬灯を見ていないという研究がある。そういったことが、なぜそうなるのかという科学的仮説と共に示される。

このように実際の統計と説得力ある仮説を同時に提示されて、ぼくは、これはきっと本当にそうなのだろうと思いました。ぐっと、臨死体験については意見が科学寄りに傾いた。なにやらよくわからないあの世の存在を仮定しなくても、なぜ臨死体験が一定のパターンを見せるのかは、ほとんど全て説明できてしまうのです。ならば、そんな仮定を必要としない説のほうを取るのは、当然ですよね? (もちろん「だから来世は存在しない」とは言えませんが。臨死体験は脳内現象だから来世がない、ということは言えません。来世の存在は臨死体験を根拠には説明できない、というだけです)


この本には、先に読んだより新しい2冊の本よりも、スーザンの人間観・世界観がはっきりと示されています。それでわかった。彼女は、臨死体験や人間の意識の研究を別個にやっていたのではなかったのです。自分の人間観・世界観の正しさを証明するために、臨死体験からアプローチし、次に少し角度を変えて人間の意識からアプローチした。そういうことなのでしょう。彼女の求める真実、根底に流れるテーマはずっとそれなのです。そしてぼくがまだ読んでいない『ミーム・マシーンとしての私』も、おそらく同じなのだろうと思います。

その彼女の人間観・世界観は、ぼくの抱いているそれに非常に近い。ぼくは今まで、こういう考え方をする人は自分以外に会ったことがありませんでした。しかしこの本によって非常に勇気づけられた。そんなふうに世界を見ている人は確かにいるのだと。まぁ英語わかんないので手紙書いたりはしませんが(笑)、なんというか、ちょっとホッとする感じです。

じゃあそれってどんなんだよ!って話しはいずれそのうちにw まぁこの本買って読めばだいたいわかりますけどね。