すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

想像力のかたち

先に「レイプ大統領」というエントリ(酷いタイトルですね)を書きましたが、id:complex_catさんより下記のようなブックマークコメントをいただいていました。

そういう意味でいうなら食人も文化だしね。現地でも少女達を守ったりレイプに抗する運動をやっている人は居るわけで,その前で,同じ台詞を言ってみるなんて具合に想像力を使ってみるのも良いかもね。後で。


すぐレス返そうかなーと思ったんですが、まぁ少し頭冷やしてからにするか、と思い間を開けました。レスの内容そのものは別に変わりませんが。


で、まず、現地の人の前で同じ台詞を言えるか、って件なんですけど、そりゃ言えないですよ。言えないわけは、感情的反発を受けるのが嫌だからです。でも、言えないのだから間違っている、というふうにはぼくは考えません。

たとえば、食事を残すとき、農家の人の顔が浮かんだら、悪いなぁと思いますよね。目の前にいたら、無理しても食べるかもしれない。魚や牛豚鶏の肉なら、やっぱり、ありがたいなぁと感謝して食べますし(いつもいつもじゃないですけど)。

日本に住んでいる普通の人で、世界には貧しい国が多くある、ということを知らない人はいないと思います。ぼくと誰かが笑い合っている瞬間にも、飢えや病気や水不足や寒さや戦争で泣いている人もいる(いるかも知れないじゃなくて、絶対にいます)。そういう人たちの顔が浮かんだら、同じように笑えるだろうか。もし目の前にいたら笑えるだろうか。別にアフリカじゃなくたって、すぐそこの北朝鮮にいますよね。

そんなふうに、世界に数多ある悲惨(食事を残す話はちょっと違いますが)のなかから、ことさらに南アフリカの女性だけをクローズアップする理由が、ぼくにはないってだけです。アップで見えたら、そりゃ、どの顔に対してだって感情が揺らされるに違いありません。


もうひとつ。ぼくは、ぼくが日本に生まれ住んでいるのはまったくの偶然、たまたまであると考えています。もし仮に、ある宗教が支配的などこかの国に生まれていたら、きっとその教えを正しいものとして受け入れて暮らしているだろうと思う。アフリカの狩猟民族に生まれたら、エスキモーの村に生まれたら、ネイティブアメリカンに生まれたら、それぞれの文化を受け継いで成長するだろうと思います。

ぼくも基本的には一夫一婦制で男女同権、というような考え方を正しいと感じています。しかし、その正しさには根拠がありません。たまたま、日本に生まれてそういう教育を受けて育ったから、そう感じているに過ぎない。もし女性の権利が尊重されない文化の国に生まれ育った後で、男女同権が正しいのだと教えられても、それをほんとうに正しいと感じられるかどうかはわかりません(それは正しく、かつ、みなそれを正しいと知り受け入れるべきだ、というのが、現在の先進国の態度なのでしょうけど)。

以上。ぼくの想像力は、こんなふうに働いています。


ぼくは、自分が正しいと思っていることでも、それを他人に強制するべきではない、と考えています(食人であっても、やらせとけ、ということです)。ぼくはそれあんまり良くないんじゃないかと思うよ、と、別の考え方を示すくらいはいいような気がしますが。ただ、この理屈だと、誰かに何かを強制しようとしてる人に対しても止めさせることはできません。結局、他人に対して全般的に不干渉、ということになります。みな好き勝手にやればいいけど、お節介はほどほどのほうが、全体としてはうまく行くんじゃないかなと考えています。