すべての夢のたび。

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それはきっともっとひどい

鳩山由紀夫首相は26日夜、日本の安全保障に関し「この国はこの国の人々で守るという、すべての国にとって当たり前の発想が今の日本にはない」と危機感を示した。同時に「それが自然かどうかという発想は国民一人一人が持ち続けるべきではないか」と指摘した。


2006年のサッカーのワールドカップで、フランス代表だったジダンが相手選手に頭突きを食らわして一発退場、という事件があったことを覚えている人は多いと思います。あの時ジダンは自分の姉について侮辱する発言を受けたらしいのですが、その言葉はどうも、日本語には対応するものがない、訳せないものであるらしいです。

その時ジダンが言われたのはつまり、どんなに間違っても絶対口にしてはいけないレベル、聞いた瞬間怒りが頂点に達して相手に手を出さずにいられないほどの差別用語、そういうものらしいんですね。で、日本語にはそういった強烈な侮辱語は存在しないようなのです(ぼくもそんな言葉をうまく想像できません)。このことはおそらく日本人にとって、幸いなこと、ではあるのでしょう。しかし、ある種の海外の小説や映画のセリフなどを翻訳すると、どうしても迫力不足になってしまうとか、そういう弊害?もあるようです。

この「痛いニュース」にまとめられた2chのレスを見てみると、まぁいつも通りだな、別に大したことないな、つまらないな、そう感じます。口にした言葉全てが失言に変わる首相への、毎度毎度の愚痴。まったくの平常運転。しかし、ぼくは思うんです。もしかすると、日本語にはいまの民主党のひどさを充分に描ききれる言葉がそもそも存在しないんじゃないか?

言葉は思考を規定し世界を創ってしまいます。虹は日本では7色と考えられていますが、民族によっては6色、5色、時には2色という場合さえあるようです。そういう人たちは、ほんとうに虹にそれだけの色しか見ることができないのです。同じように、ひどい言葉を持たない日本人は、ひどさというものについて感じる力が弱く、民主党のそれについてうまく捉えたり考えたりすることができない。そういったことが、あるのではないかと思います。