すべての夢のたび。

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「嫌なら見るな」という暴力性

「フジテレビは韓流ばっかりやってんじゃねーよ!」という文句に対する「嫌なら見なきゃいーじゃん」という返し。ぼくはこれを確かにそのとおりだ…と感じてしまいます。しかしなんか悔しい。ひとこと言い返したいなんだかもやもやとした気持ちが残る。なんて言ってやればいいんだろう。そんなことを今日考えていました。まぁ自分に直接言われたわけじゃないけど、言われたんですよね。

どうしてこの「嫌なら見るな」をそのとおりだと感じ、言葉に詰まってしまうのか。テレビにはチャンネルがあって、見たくない番組だったら他の局に変えることができる。スイッチも付いてるので消すこともできる。選択権は視聴者の側にあるわけです。それがまず第一にまぎれもない事実だから、「嫌なら見るな」という言葉は非常に強い。

しかしそもそもが、耳から入ってくる音と違って、目から入る映像はTVに限らず選択が容易です。電車の中で化粧をする女性。ズボンを下げて履く男子高校生。彼女ら彼らから「嫌なら見るな」と言われたらどうでしょう。みなが目を逸らして、不快なそれらが見えなくなって、それで収まるでしょうか? 実際にはそうなっていませんよね。これらは問題になっている。「風紀を乱すもの」などとして、目を背けて済む話ではないと考えられているわけです。

じゃあ韓流の場合はどうなのか? 韓国のドラマや歌手がTVを占拠しても、それは人気があるからそうなっているので問題はない、と考える人はいます。でも「韓流ばかり流すな」と言ってる人たちは多分違う。なんかこう、「文化侵略」みたいなことが起こっている。そう感じているのですね。だから、自分が見なければいいという話じゃないわけです。

ここのところの認識が、多分人によって結構異なるんでしょうね。「そんな陰謀論みたいなことはないって。ただ韓流が安い割によく売れるコンテンツだから、お金ないTV局がガンガン流してるだけだよ」って言う人もいるんですけど。でもぼくなんかは、「安くて売れる」と「文化侵略」は別に矛盾しない、同時に成り立つことだよなぁ、と思ってるわけです。安くて売れてこりゃ楽だわー、と日本側が思ってる時に、バンバン買ってくれるから国の予算つけて一気に攻めこんじゃえ、と韓国側は思ってるかもしれない。売り手と買い手の思惑が一致してる必要は別にないので。

とか、考えてみて、たぶんまぁこんなことなのかなぁとは思ったんですけど、でも結局、これは説明するとなるとちょっと長いw まだ「嫌なら見るな」にカウンターで返せる強いひとことにはならないのでした。なので、逆に、ぼくもこの言葉の暴力性を借用しようかと思います。「嫌なら来るな」とか、そんなふうな呪詛で。