すべての夢のたび。

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『ドッペルゲンガーの恋人』読んだ

ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS)

ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS)


唐辺葉介さんの最新作。一昨日手に入れてそのまま全部読んでしまいました。面白かったけれど、唐辺さんの作品としては結構あっさり目だと思います。もちろん、あの独特の、暗くて不穏で行き場のない感じのトーンはこの作品でも健在ですが。

――僕の恋人は、死んだ恋人の記憶を植え付けたドッペルゲンガー。

亡くした恋人のすべての記憶を、僕はクローンに植え付けた。新しく誕生した「恋人」との暮らしが、僕と彼女を追い詰めていくとは思いもよらずに――。まさに待望、唐辺葉介の復活作は、胸打つSFラブストーリー。


ぼくがこの話に惹かれたのは、上の紹介の通り、ぼくがいつも考えているような「わたしとは何であるのか」ということがストーリーの中心に据えられていたからです。彼の方は彼女を本人そのものと思っている。一方で彼女の方は自分が死ぬ以前の自分と同じであるのか疑問を持っている。そしてだんだんすれ違いが大きくなって……というような展開です。これ以上はネタバレになるので避けますが。

で、まぁ、ぼく的には、この物語はいくらかの違和感を持たされたまま終了してしまったのです。つまりぼくの持つ"「わたしとは何であるのか」感"と唐辺さんのそれは少々齟齬っている、と。でもそのことは、何に由来するのか? この本の認識が一般的なのか。そうではなくぼくの読み方にどこか誤りがあるのか。それとも、読者に解釈を任せるような形で書かれているのか。その辺りが気になったので、感想を書いたブログとか探して読んでみようかなーと思っています。自分よりも、他の人がこの作品をどう捉えたのか、それが気になる。

そんなふうで、久しぶりになんかそういったことを考えています。わたしとは何なんだっけ……みたいな。ちょっと思い出してきたような。