すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

感情は理性に先んずる

人間の理性の処理能力には限界があるが、無意識は大量の情報を同時に処理する能力を持つ。その無意識への窓になるのが感情であり、さまざまな予測において「自分の感情を信じる人」のほうが優れた成績を示したという研究結果を紹介。


そんなような研究結果が出たらしい。ぼくは前から「感情>理性」と思ってたので、そんなような自説を補強するカガク的根拠も出ちゃいました、ということに過ぎませんが。

だって、簡単です。理性はキチンと言葉にできることしか取り扱えない。のに対して、感情は、「うまく言えないけどなんだか嫌な予感がする」とか、そういうことが言えてしまう。範囲がずっと広いわけです。この記事にも書かれてますが、無意識を取り扱えるわけだから。

だいたい人間ってのはカガクを信じるならおサルから進化してきたわけです。おサルの理性とかどのくらいあるのか知りませんが。で、おサルはもっと下等な動物から進化してきたわけです。その辺になると、理性はあるんだかどうだか怪しい。でも感情は確かにある。

感情のない生物、というのは考えられない。あまり単純な生物になると、ソレを感情と言っていいのかどうかはわかりませんが。でも、ソレがないと価値判断ができないので、生物は生き残れないですから。おそらく"熱い"とか"苦しい"とか"気持ちいい"に相当する原型的なソレを持っているはずです。


人間並みのアンドロイドを作ろうとして、問題になってくるのはやっぱりこのへんですかね。感情をどうやってインストールするのか。ふつうに作ると、理性だけになっちゃいそうな気がするんですよね。ていうかさ、プログラミングってまさに言語でやるものだから、それで構築できるのは理性だけなわけですよ。こういうことをされたら嬉しいはずだ、だから、笑った表情を作ろう!みたいなことになってしまう。そう考えると、感情はハードウェアから来てるんでしょうね。だって脳のない生物にだってソレはあるんだからね。