すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

タトゥーの意味

 私は米国留学中にタトゥーを入れた。もちろん今も体にある。人種差別を批判する米国の音楽を好きになり、タトゥーに興味を持った。米国でファッションとして浸透していることもあった。同時に、社会問題に関心を抱くきっかけにもなった。そのおかげで今の私がある。取材の時は人目に触れない服装を心掛けている。タトゥーを彫ったことを後悔したことはない。

 タトゥーを入れている人は日本社会では少数派。嫌悪感を感じる人が多くいるのも分からなくはない。しかし、なぜレッテルを貼って管理する必要があるのだろうか。自分が嫌いなものを排除すれば、楽だろう。しかし、そういう社会を望むのならば、ロボットの社会を作ればいい。


上の文章、なにが言いたいのかよくわかりませんが、でも、読んで気づいたことがあります。

「タトゥーは、目に見える思想」なのだ、と。

そう考えるとわかりやすいです。タトゥーを入れるということは、ある種の思想を胸に抱いていることと同じ。つまるところ、大阪市で行われているタトゥー調査は、思想狩りなわけです。君が代の話と一緒で。だから嫌悪されるのだなー。

取材の時は人目に触れない服装を心掛けている。タトゥーを彫ったことを後悔したことはない。


この記者の人も、タトゥーを入れていることを人に知られると自分の評価にマイナスの影響がある、それは理解してるんですね。だから隠す。

でも、後悔していない、という。その自負に、ちょっとイタさを感じる。イタさというか、かゆさ。ぼくも同じようなものを持ってて、解ってしまうからですね。もっともぼくのは目に見えるカタチにはなってないから、表に出さなければ済みます。

後悔したことはない、とあえて言うのは、後悔してるけど否定出来ないからじゃないですかね、「若いころの自分」みたいなやつを。ただ経験として差し引きでは上回っているというだけで。

人が何を考えているのかを外部から読み取る技術は研究が進められています。いずれはほんものの思想狩りも可能になるかもしれない。橋本氏が市長になったのが今でまだ良かったですね。