すべての夢のたび。

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哲学的ゾンビ vs スワンプマン


一昨日のエントリ「赤い鉄は熱いか?」にブコメをいただきました。

id:Lhankor_Mhy つまり「スワンプマンは本人である」と言いたいのか。スワンプマンが1万人誕生したら、1万人全てが同じ人であると。


スワンプマン。沼男。アオコやヘドロで汚染された沼にうっかり落ちてしまったために特殊能力を身に付けた主人公が悪と戦うアメリカンヒーローものですよね。嘘ですけど。


スワンプマン(Swampman)― Wikipedia

ある男が沼にハイキングに出かける。この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばに落ちる。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥に化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一形状の生成物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死んだ瞬間の男と同一の構造をしており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。沼を後にしたスワンプマンは、スタスタと街に帰っていく。そして死んだ男が住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。


「物質コピー機」とか「物質転送機」と同じ類のネタですね。特殊なところはないように見えます。

"つまり「スワンプマンは本人である」と言いたいのか。"という一文のなかの"本人"は、どういう意味なのでしょうね。ここにH2Oの分子があり、あそこにもH2Oの分子があるとします。「これとあれは同じH2Oの分子か?」と言われたら「同じ」でしょうし、「これとあれは同じオブジェクトか?」と言われたら当然「違う」でしょう。そして前者の意味でなら「スワンプマンは本人」です。1万人誕生したら、当然1万人全てが同じ人ですよ。

だって定義として"スワンプマンは原子レベルで、死んだ瞬間の男と同一の構造をしており、見かけも全く同一である。"と書かれているじゃないですか。スワンプマンは元の男と同一だ、と書かれているので、元の男と同一である、とぼくは言うのです。同一であることの主張に、これ以上付け加えるべきなにかが必要とは思えません。スワンプマンは元の男とは異なる、というのであれば、そう主張する人が異なる点を挙げるべきだと考えます(しかし「同一である」ことが定義なのに、異なる点があるわけがないと思うのですが……?)。


まぁ、おっしゃりたいことは、おそらくあの辺だろう、というのは分かります。ぼくは最初のエントリでは"クオリア"や"「この私」の同一性"には触れませんでした。あえて触れなかったのではなく、単にあのエントリを書いているときは関心がなかっただけですが。

実際スワンプマンが発生したとして、誰が困るのでしょうか? 見分けがつかないんだから家族は困らないし、仕事もふつうにできるので職場の人間も困らない。スワンプマン本人だって、元の男から記憶を受け継いでるから、本を途中から読むのに支障もない。沼男だから悪臭がするわけでもないしw どこにも困る要素はないように思います。元の男が困る? 死んでいる人間が何を困ることができるのか?

ですが、困らなくても、嫌だ、ということはできます。家族や職場の人間がスワンプマンに自然に気づくことはあり得ませんが、落雷で起きた出来事を目撃していた人がもしいたら、家族や職場の人間に「彼はスワンプマンだ」と教えることができる。そうしたら、嫌だ、という感情が彼ら彼女らに起こることは考えられる。

しかし、何が嫌なんでしょうか。ちょっと考えてみてほしいのですけれど、これは実際に毎日起きていることなんですよ。職場の同僚は、昨日と同一の人物なんだろうか? 職場に行っている間に、家族が入れ替わってしまっていることはないのか? 実際にある例ですが、統合失調症の人で、自分の視界から一度消え去ってまた戻ってきた人物を同一人物だと認識できない、似ている別人と考えてしまう、そういう症状があるそうです。でもわたしたちは、そこまで厳しい同一性を相手に要求することもなく、同一人物だと考えている。呼吸したり物を食べたり排泄したりで、ぼくら人間の原子構造なんて日々、瞬間瞬間変わってしまっている。それは気にしないのに、なぜスワンプマンであることは気にされてしまうんでしょうね。

ていうかー、他ならぬこの自分がー、スワンプマンかも知れないじゃないですか? 寝てる間に落雷があったかも知れないし(まぁ沼で寝てはいないでしょうけど)。なぜ私は私を昨日と同一人物だと信じることができるのか? それって、単に昨日までの記憶があるからですよね。けれどもそんなのスワンプマンにもあるわけです。5分前世界創造説ならぬ、5分前スワンプマン誕生説があってもいい。あなたはこの世界に5分前に誕生したスワンプマンなのです。


喩え話だから何も問題ない、というのではありません。喩え話よりも現実に起きていることのほうがずっとたちが悪いのに、そっちのことはなんで気にしないんだっけ?というのが、ぼくにはスワンプマン問題のいちばんのポイントであるように思えます。