すべての夢のたび。

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1万人のスワンプマン(警視庁調べ)

一昨日のエントリ「哲学的ゾンビ vs スワンプマン」について、id:Lhankor_Mhyさんよりコメントをいただきました。ありがとうございます。

別にご意見を否定しているわけではないのですが……、内容を要約するようなブコメはお嫌いでしょうか。たしかにムダであり蛇足であるのは認めますが。
なにが困るか、という質問については雷に打たれたとき私が死ななかったら困ると思います。目の前にいる私と全く同じ人物を、私であると認めるのはなかなか困難であるでしょう。アンパンマンは頭部置換の際の自己同一性保持についてどのように折り合いをつけているのか非常に興味があります。
もちろん、私と同じぐらいスワンプマンの私も困っているだろうと思いますが。


内容を要約するようなブコメが嫌いなわけではありません。ただ、1万人スワンプマンがいたら1万人すべてが同じ人であるのは当然なのに、なぜそれをあえて書かれるのかは気になりました。あとぼくは日記のネタにはいつでも困っているのでw、ちょうどいいタイミングで面白いテーマが来たということでありがたく使わせていただきました。

元の人が死ななかったら困る。それはあるのかも知れません。でもその困りは、本質的な困りではないんですよね。例えば、元の人とスワンプマンが引き離されて二度と会わないとか、そういうことが起こるなら困らない。あるいは元の人が滅茶苦茶楽天的な性格だったら多分困らないw  スワンプマンには元の人が持っている何かが欠けているとかであれば本質的な困りが発生しますが、それは完全なコピーであるという定義上あり得ないことになっています。本質的でないほうの困りについても面白いテーマだとは思いますが、別の機会に扱うことにさせていただきます。

また、当該エントリへもブコメをいただきました。

Lhankor_Mhy 自分がスワンプマンである可能性、という考えは「クオリア持ったスワンプマン」なのか「クオリアだと思っているものがクオリアではないスワンプマン」なのか興味深いところ。


ですが、このコメントについては実のところよく理解できておりません。クオリアという言葉の意味の捉え方がぼくとは異なるのではないか、そのように推測しています。

スワンプマンと元の人が異なるのは、歴史的経緯だけです。物理的には全く同じで、ただ一方はもう一方に基づいて後から作られた、それだけの差しかありません。2人を箱に入れてよく振ったら、もうどっちがどっちだか外部から判別する方法はありません。だから、仮に、スワンプマンが「クオリアだと思っているものがクオリアではないスワンプマン」なのであれば、元の人が「クオリアだと思っているものがクオリアではない人」なのです。それがそのままコピーされているのです。


クオリアという言葉はどうも人によっていろんなものを指しているような気がしてなりません。ぼくはぼくの考えているクオリアはWikipediaに書かれているそのままだと思っています。

簡単に言えば、クオリアとは「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、主観的に体験される様々な質のことである。


「感じ」だと思っているものが「感じ」ではない……?  さてどういう事態なのか、ちょっとわかりません。ただ特に解説を求めているわけではありません。そろそろ絡みすぎなんじゃないかという気もしますし……。