すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「……またかよ……(ポチッ(RT))」

まず、コチラをご覧ください。


「これを見て RT すると あしたは、小さな小さな しあわせを つかむことができます ウソだとおもうのなら、してみれば、いいよ」

で、これで、なかには5千回もリツイートされているものがあるという。


なんだこれは。ものすごくものすごーく、引っかかるのですけど、それをうまく言い当てることができなくて、ずっとモヤモヤしています。

一見して、醜悪なパロディに見える感じがあるんですよね。なんかほら、風景写真に英語でメッセージが入ったようなポストカード。あるいは、みつを。あのあたりと、昔からあるチェーンメールの悪魔合体したようなものに見える。

違うのは、こっちは誰が見ても素人が作ったものであること。デザインされていない、レイアウトされていない。上に貼ったものを見ても、微妙に読みにくい文字色、微妙な文字配置、微妙な文字の傾き、「してみれば、いいよ」の"、"の気持ち悪さなんかが目につきます。

誰でも数分で作れてしまいそうな画像。こんなでの5千RTも稼ぎやがって!という気持ちは、ゼロではないですけど、ほぼゼロに近いですね。ぼくがこんな画像を作ってツイートしてRTされたら、フォロワーの頭を疑います(最初の1回だけならネタになるだろうけど)。

これはRTしてタイムラインにいる人たちに見せるようなものではない。そう考えるのがいい大人です。質が問われる。こんなものをRTしていては、あなどられます。まぁ名言のRTが目立つ人も中にはいるし、ぼくも時々はやりますし、単なる猫写真が流れてきてRTすることもありますが、それらに比べてもはるかに安っぽい。

そう、気になるのは、むしろ作るほうじゃなくてリツイートするほうなんですよね。ぼくが見れば、これは「いいね!」ではない。RTすることにより自分の価値が下がるような類のものなんですけど、そうは考えない人たち(子供たち)が大量にいるらしいということ。何も考えていない可能性も含めて、考えが読めない。そこに気持ち悪さの一端があるような気がします。

だってこんなのすぐ作れんじゃん。自分でも作って流せばいいじゃん。それすらしないで、RTするだけなの?と考えると、広めたくてRTしてるわけじゃないんじゃないか、という可能性が浮かび上がってくる。ていうかもともとチェーンメールってそういうものか。ほとんど無害な幸福のおすそわけ。不幸の押し付け。時には押し付けられ。そういったものをやりとりできる関係。リアルでの閉じているコミュニティがそのままツイッターのクラスタに持ち込まれてるんだろう。ぼくとは繋がり方が違うんだろうなと、そう思います。

でもまだなんか核心を探り当てた感覚はぜんぜんないですね。こういうのはずっと気持ち悪いまま引っかかってて、ある日突然ああこれか、とか解ったりします。ヒントあったらください。