すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

世界はあなたが思っているようなものではないのかもしれない

自動車というのはパーツの寄せ集めのように思える。その自動車の性能はどのくらいで、どのような走りをするのか。そういったことは、パーツを交換すると変わってくる。自動車の性能や走りの性質は、個々のパーツに分散して「含まれている」と、そう言っていいように思える。

では水はどうだろうか?

水は水分子の寄せ集め、なのだろうか。透明で、比熱が大きく、物質をよく溶かし、零度で凍り、100度で沸騰し、4度の時に一番密度が大きく、個体は液体より密度が小さい。そういった性質が、水分子(H2O)に含まれている、と言っていいのだろうか。

しかし水分子のどこに、そのような複雑な性質を生み出す元となる性質があるのだろう。酸素原子と水素原子の距離だろうか。2本の腕の角度が少し違っていたら、水は全然別の性質を持つようになっていたのだろうか。

さらにこれらの原子を構成する要素を考える。陽子中性子、そして電子。あらゆる物質はこれらのものからできている。ならば、宇宙に存在するあらゆる物質の性質は、これらの構成要素にあらかじめ「含まれている」、そう言っていいのだろうか?

けれども、陽子中性子そして電子が持っている属性は、これらが組み合わさってできるものの性質に比べ、遥かに単純であるように感じられる。これらには、いじるところがほとんどないのだ。陽子の質量やら、電子の、核からの距離やら。それらがほんの少し変化するだけで、あらゆる物質の性質が変わってきてしまい、宇宙がいまのような形を保つことができなくなってしまう。

ここで科学者は壁に突き当たる。宇宙はうまくできすぎている。うまく「デザイン」されすぎている、と言ってしまいたくなるほどだ。ありえないほどの偶然の積み重ね。そこで、これらを仕組んだ誰かを持ち出すか、人間原理を持ち出すか。

だがそういったものを持ち出さずに世界を説明する方法はあるかも知れない。逆に考えるのだ。世界はパーツの寄せ集めではない、のかもしれない。

ヒントは卵だ。ニワトリの卵はひとつの大きな細胞であり、これが細胞分裂を繰り返して、やがてヒヨコになる。なぜ、最初にカラの中にヒヨコの元となる全ての細胞が作られ、それらが動きまわり寄せ集まってヒヨコとなる、そういった仕組みではないのか。卵からのヒヨコの発生の仕組みは、なにをなぞっているのか。

ビッグバンのその時に、将来的につくり出されるあらゆる複雑な物質のあらゆる複雑な性質を生み出す属性をあらかじめ偶然に備えた陽子中性子そして電子が、一度に生み出され、拡散し、時々寄り集まって星になったりしたのだろうか。うまくできすぎている。そうなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。