すべての夢のたび。

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ほんものの記憶喪失

記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)

記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)


記憶喪失という症状への興味から買って読んでみた。知らなかったが、TVドラマ化された話であるらしい。

さて記憶喪失といえば「ここはどこ、わたしはだれ」的なイメージがある。自分が何処の誰かはわからなくなっているが、それ以外は正常、という感じ。しかしこの本で描かれている記憶喪失は、そういったヌルいレベルではない。彼はものの味すら忘れているのだ。それも「甘い味と"甘い"という言葉が結びつかない」とかいう話ではなく、「今回甘いものを初めて食べ、この素晴らしくよい感覚のする味は"甘い"という味だと教えてもらう」、そういった感じ。

一般的な記憶喪失、といったものがわからないので、この本の彼みたいな状況がありがちなのか珍しいのかは不明である。しかし、こうはなりたくない、ということは明らかだ。彼は眠い時には寝るということを忘れているので夜もずっと起きている。彼は、母親が沸かし忘れた水風呂にずっと入っている。冷たかったら入らなくてよい、ということを忘れているのだ。

本自体は、あまり面白いとは思えない。Amazonレビューの評価は高い。感動した、という感想が多い。しかしぼくには、記憶をなくして以降の彼自身による内心の描写が、どうにも胡散臭く感じるのだ。そこは本来言葉にすることができない部分だと思う。しかし、無理に後(=昔の記憶がない以外はほぼ正常と言えるまで回復した状態)から当時を思い出して再構成されており、そのやりかたがチープなのだ。ひらがなでたどたどしく書けばいいというものではない。アルジャーノンか。読んでいて辛い。しかし、同じ時期の彼の様子を母親の視点から書いた章も挟まれる構成になっており、こちらが非常に興味深い。記憶をなくした人間はどのように振る舞うのかがよくわかる。

彼には彼女がいたらしい。しかし彼女は記憶喪失となった彼からは去ってしまう。一方母親は、どんな状態であろうと彼は彼であると、そういう認識のようだ。ここが「人は何をもって人を"その人"と認識するのか」という、その差が現れているようで面白い。不連続な精神と連続な肉体を持つ彼。彼自身は、記憶を失くした当初は、昔の自分を取り戻そうとして昔の自分と同じ格好や行動をしてみるのだが、やがては「昔の記憶が蘇って今の自分を乗っ取ってしまうことを想像するのが恐ろしい」という感覚を持つことになったようだ。