すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

中村くんと犬と猫

今朝、会社への道を歩きながら、「どうしてミュージシャンは反原発なんだろう?」と考えていた。


さて今日は中村一義デビュー15周年記念ライブ「博愛博 2012」武道館での最終公演。ゲストにくるり岸田佐藤、サニーデイ・サービスほか。

中村くんの歌うのを見るのは2回目か3回目か。1999年の赤坂BLITZのあれなんかははずかしがってもうぜんぜんしゃべれない子だったのに、今日はMCもちゃんとできてて成長したなーと思った。

中村くんの曲をサニーデイが演奏し、サニーデイの曲を中村くんが歌う。くるりの曲を中村くんが歌い、くるりが演奏する『犬と猫』を中村くんと岸田くんで歌う。ふたり音域ちがいすぎてすげーわらった。しかしぜいたくすぎるわこれ。たいへん満足した。サニーデイの演奏する『まる さんかく しかく』も激レア音源じゃんと思ったけど。

岸田くんが京都のヴァージン・メガストアで中村くんのデビューシングル犬と猫買ったんだーって話してて。コード取ってみようとしたらすごい難しかったって。したら中村くんが、演奏しようと思って作ってなかったって言ってて面白かった。さすが宅録派。


その犬と猫。今日やってくれて嬉しかった。衝撃だったよなー。曲もだけど、その歌詞が。

どう? どう?
町を背に僕は行く。今じゃワイワイ出来ないんだ。
奴落とす、もう。さぁ行こう! 探そぜ、奴等…ねぇ。
もうだって、狭いもんなぁ。

同情で群れ成して、否で通す(ありゃ、マズイよなぁ)。
難解な、その語意に、奴等宿る。…んで、どう?

どう?
僕として僕は行く。僕等、問題ないんだろうな。
奴は言う、こう。「あぁ…ていのう」 もう、けっこう!
奴等、住む場所へ行く。全て解決させたいんだ。
僕は僕。もう、最高潮! 落とせ、あんなもんは、ねぇ。
インチキばっかのさぁ。

単に、皆、損で、あっさり、振り回されたんで…。我欲成したんだ。
歴然に、いざ、吐いて死ぬと、どう? 妙な冗談で撒いて…。
笑えやしないんだ。大変、もう…。ねぇ、どう?
こんなんで、ええんか?

調教で得た知恵で、世を焼く(僕、マズイかなぁ)。
状況が裂いた部屋に、僕は眠る。みんな、どう?

どう?
のんびりと僕は行く。痛みの雨ん中で。
“痛み"なんて、どう? 最近どう? あぁ…そう…。
皆、嫌う、荒野を行く。ブルースに殺されちゃうんだ。
流行りもねぇ、もう…。伝統、ノー。
んで、行こう! ほら、ボス落とせ!
そう…。皆、そう。同じようなもんかねぇ。
犬や猫のようにね。


赤坂BLITZの時もなんか言ってたような気がするな中村くん。

「どう?」「もうだって、狭いもんなぁ」「全て解決させたいんだ」「インチキばっかのさぁ」「どう?」「こんなんで、ええんか?」「ほら、ボス落とせ!」

15年前のその歌を今日も歌っていた。奇しくも自民党が歴史的圧勝をした2012年12月。どんな気持ちだったんだろう。楽しそうに歌っていたし、ぼくは満足したけれど。そんなんで、ええんか?


どうしてミュージシャンは反原発なんだろう。

ミュージシャンは常に新しいものを求められる。でもほんとうは、新しいものを作ることは必然なんかじゃない。それでも作らなくてはいけないとしたら、理由が必要だ。だから、新しいものはよいということにする。今のものは悪いということになる。

常に新しくあり続けなくてはいけない。現状に安住してしまってはいけない。


音楽は世界を変えたりしなかった。コンサートは、ライブは、ハレの日のものであって、人は盛り上がって、そして、醒めてケの日常に帰還していく。駅前でギター持って愛や夢やをうたう子供の歌が胸を打たないのは、彼らの歌こそがリアルだからだ。ミュージシャンのコンサートはライブは非リアルなのだ。ジェットコースターなのだ。ジェットコースターは世界を変えたりしない。いや、そもそも変える必要なんてあるの。


……そんなことを武道館で考えていました。(歌聞けよ)


犬と猫をこれからも歌い続けるということはどういうことなんだろうか。落とされるボスがこれからも必要とされ続けるんだろうか。「奴等」はどこにいるんだろうか。解決したあとはどうするんだろうか。

衝撃だったよなー、中村くんは。でもぼくはぼくだ。