すべての夢のたび。

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AURA〜魔竜院光牙最後の闘い〜観てきた(バレ有)


良子が可愛かった。この映画はほとんどそれだけで保ってる。


問題はこれがハッピーエンドなのかということだ。潰されるのされないのではなく、「そっち側」に回収されることを良しとするのか? それはふたりにとって望んだ結末なのか? 仕方ないのか? 受け入れたのか? はじめから、正しいのは「そっち側」だったということなのか?

もし選べるなら/許されるなら、妄想戦士(DREAM SOLDIER)でい続けたかった、ということはないのか。やはりそれは誤った道なんだろうか。

これはアニメである。ぼくの生きている現実の世界で上映されるアニメ映画である。なので、ひとまず商業的な成功は目指される。そのためあのようなラストになっていると考えられる。(もちろん原作の小説においても同様である)

もし、選べるなら、許されるなら、ふたりで重力に身を委ねる、というラストが描かれる可能性はなかったんだろうか? 製作者/原作者は、どう考えていたのだろうか?

それとも、世界がこっち側の妄想で塗り替えられるという結末はなかったのか?


さて映画を観終わったぼくは現実に還ってくる。現実界のぼくはこっち側(妄想戦士側)であって、そっち側を遠くながめている。現実界のこっち側には良子はいない。そう、AURAのなかで最大のフィクションは良子の存在なのだ。現実界では、あんなに可愛い子が妄想戦士であるということは、あり得ない。

"――ふたりなら、潰されない"。でもひとりだ。

映画を観に来てる客の95%はこっち側の男だった。男か、男のグループだ。そっち側の男女はこんなアニメなんか観ないだろう。

ぼくはこの映画からなにを受け取ったのか。そもそもメッセージはあったのだろうか。潰されないように、そっち側を目指して暮らせ? でもひとりなんだけど。

実際には現実界では最近こっち側の勢力が増しつつあるように思う。侵食し、当たり前になり、政府の公認すら得ている。ぼくはそんな世界を望んでいたんだっけか? こっち側の勝利条件はなんなんだろうか。そっち側のひとたちがこういった事態を、受け入れているのか、それとも忌々しく思っていたりするのか、そこはすこし気になる。