すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

どうしてアーティストはみんな左寄りなのか?

65歳のジュリー「脱原発」で復活!


「曲も歌詞も超カッコイイ。共鳴するDJのみなさん、ラジオでも流してね。まさか放送禁止なんて、ありえないでしょ」

 文芸評論家の斎藤美奈子氏が東京新聞「本音のコラム」で書いていた。斎藤氏が推しているのは、ジュリーこと沢田研二(65)のミニアルバム「Pray」。今年3月にリリースされた脱原発のメッセージソング集である。

 試しに「Pray〜神の与え賜いし」を聴いたところ、「♪神の与えし苦難ならば不幸すぎます〜」と、東電や政府を揶揄(やゆ)し、「♪神の与え賜いし運命だと、いつか思える日を与えたまえ〜」と、変わらぬ美声で歌っている。さすが往年のアイドル、楽曲としての完成度も高い。ファンはもう一度、ジュリーにしびれさせられるかもしれない。


音楽に限らず、絵でも文章でもその他アートな職業は、な〜んでみんな原発反対なんですかね?みたいなことを前に考えたんでした。

この話は「どうして原発賛成のデモはないのか」って話に繋がってると思うんです。賛成の人たちはデモをしない、なんで?って。けれどそれって当たり前の話で、「賛成」ってことはつまり「国が決めた今の流れに賛成」ってことだから、わざわざデモをする必要がないんです。

「♪原発がある暮らしで良かったです〜」なんてデモはしない。それじゃ北朝鮮でやってる主席を讃えるなんかのイベントみたいになっちゃいますからね。変える必要がないんだからデモの必要はない。変えたい人だけがアクションを起こす。

けれどアーティストの場合は順序が逆転してるんですね。つまり、自分も有名になりたい、世の中に何かをアピールしたいと思ったとき、アクションは左側からしか起きないものと決まってるので、その流れに乗るしかない。だって右側からのアクションとか思いつかないもんな。右翼の街宣車? 新年に皇居に行って国旗を振る? 自衛隊のイベントに行く? 三島由紀夫? ……在特会……? なんかね、右ってそんな感じのものになっちゃいますよね。これって今の感覚だと余りカッコよくないんだ(そう教育されてきた)。

というわけで、流れに反対するオレカッコいいみたいなのもあって、「頼まれてもいないのにわざわざ世の中に何かをアピールしようとするなら、その内容は左寄り的なものに限定されざるを得ない」のでした。そういう構造なんだと思います。