すべての夢のたび。

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なぜ人を殺してはいけなかったのか

「なぜ人を殺してはいけないのか?」の疑問には誰も答えられない - はてな村定点観測所


この記事を読んでまず思ったのは「はてなブックマークってユーザー増えたのかな」でした。この記事自体は問いについての自分の答えを述べているわけではないし、「誰も答えられない」ということを言っているだけなのに、なんかすごい数のブクマが付いていていいなぁと思う(笑)。

ぼくが昔、一生懸命人力検索やはてダで同じテーマについて考えたり答えたり叩かれたりしてたときは、ブクマ100も付いた記事なかったと思うなぁ。単純にあまりおもしろくなかっただけかもしれませんが。

結局ぼくの結論はどうだったのか。昔の記事を漁るのはめんどくさいので記憶で答えてみます。

ヒントは、誰かが言った「『殺してはいけない』って誰が言ったの?」という「質問に質問で返す」ことばでした。そう、誰が言ったかってよくわからないんですよね。ぼくはいつのまに、誰から聞いて「人を殺してはいけないんだ」と思い込んでしまったのか?

そして考えて、別にそんなこと誰も言ってないや、とぼくは思いました。

女子高生がしたように、じじつ人は殺せます。禁止命令があろうがなかろうが、関係ない。そんなもん関係なく、良い悪い以前に、正しい正しくないよりも以前に、人は殺したり殺されたりすることができる。ただまぁ、多くの人は殺されるほうはイヤなので、人を殺した人は、それに応じた報いを受けるような仕組みに、世の中はなっている。

法律には「人を殺してはいけない」とは定められていません。単に、「人を殺した者はこれこれの罰を受ける」とあるだけです。それでよければ、納得すれば、することができる。もちろん納得いかなければ、殺して、逃げることもできる。逃げ切るのは難しいでしょうけどね。

そういうもろもろを説明するのはすごくめんどくさいし、ちゃんと自分の頭でも考えないと腑に落ちることもないだろうから、世の中はそこをすっとばして「人を殺してはいけない」って命令にしてある、というのがぼくの理解です。

なので、たぶんこれからもずっと「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに「ストレートに」答えられる人は現れないと思います。だいたいね、この問いは仮に「○○○だから」って形式で答えたとしたら、必ず「じゃあ○○○じゃなかったら殺してもいいのかよ」という人が出てくるんです(例:「自分も殺されたくないから」「じゃあ宅間守なら殺してもいいのかよ」)。仕組み上、ひとことでは答えられっこないのです。