すべての夢のたび。

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跳びはねながら本は書けるのか

自閉症の僕が跳びはねる理由: 会話のできない中学生がつづる内なる心

自閉症の僕が跳びはねる理由: 会話のできない中学生がつづる内なる心


アプリじゃない物理的なKindle本体を持っていて、かつAmazonプライム会員になっていると、Kindleオーナーライブラリという、月に1冊無料で本を読めるサービスが受けられます。しかし対象の本は限られているため、買おうと思った本が偶然オーナーライブラリの対象だったときに借りる程度です。

この本もそうやって読みました。紙だと1700円。Kindleだと1100円。読みたいから買っちゃおうかなー、と思って商品ページを開いたところ、オーナーライブラリ対象でした。ラッキー、と思って借りて読みました。買うの躊躇してた理由は、この本価格の割に短いからです。1時間くらいで読み終わってしまう。


で、内容ですが。自閉症の人に対する見方を変えなくてはいけない本です。いままでぼくは自閉症の人というのは、頭がヘンでああいう行動をしているのだと思っていました。が、違います、とこの本は言っている。健常者と大きくは変わらない思考と感受性を持ち、勝手に暴走する身体をなすすべもなく内側から眺めている。そういうもののようです。体が勝手に跳びはねてしまうんだと。

なんか最近ありましたよね、植物人間状態の人にも実はふつうに意識はあって脳波はちゃんと反応してるってやつ(それはそれでものすごくこわいですが)。どうも自閉症も、それと似たようなものらしい。奇妙な行動からはまったくうかがい知れない豊かな内面が広がっているのだと。


ということだそうなのですが、ぼくは「ほんとうなのかなー」と思っています。いや、まあ、ぼくがおかしいのでしょうけど。Amazonのレビューも基本は絶賛!納得!見方が変わった!私にも自閉症の子供がおりますが!みたいのばっかしなのでぼくが変なのです。というか、この著者は他にも本出しているし、テレビにも出ているらしいし、他の人がこの人を見て書いた文章もあれば、この人が書いているブログもあると。そういうものにまったく触れず、自分で真偽を調べる努力をせず、ただこの一冊だけを見ての感想は、「ほんとうなのかなー」です。


ぼくは身体と精神(脳)は一体のものと考えています。この人は、暴走する身体の内に住みながら、どうやって健常者に伝わる言葉を手に入れたのか?

この本は、「ぼくはこう感じ、こう考えている」ということが書かれています。でもそれは「(健常者の人はこう感じ、こう考えるのだろうけど、自閉症である)ぼくはこう感じ、こう考えている」というふうに、カッコの中の部分が略されている。健常者はどう感じどう考えるのかを知った上で、それと比べる形で自閉症である自分のことを書いている。

どうして彼は健常者のことがわかるのか。ぼくには自閉症の人のことがわからないのに。

本を読んで知った? でもその本を綴っている、綴るために使われているいろいろな言葉の意味を、彼は自閉症の体の内側からしか手に入れられないはずなのです。


痛い、という言葉をぼくらはどうやって覚えたんでしょうか。何か痛みを感じる。でもそれを表す言葉があるなんてまだ知らない時があったはずです。痛みを感じる。自分が痛みを感じている時と同じ様なふるまいをする他人を見る。その口から「イタイ」という言葉が発せられる。自分も痛みを感じた時に「イタイ」という言葉を発してみる。それが肯定される。痛みを感じた時に別の言葉を発してみる。ちがうよ、と否定される。

想像でしかないですが、このようなプロセスを通して言葉は習得されていくものではないでしょうか。でも彼は、何に対して痛みを感じるか、どういう時に痛みを感じるかがそもそもぼくらと違い、そして痛みを感じた時にイタイという言葉を発することすらできないのです。それでどうやって、健常者の言葉を手に入れることができたのか?

一つの可能性は、彼が"奇跡の詩人"みたいな腹話術人形じゃないかってことですが、これはまぁつまんないので除外しましょう。ていうか多分映像見ればすぐわかるだろうから。

別の可能性として、彼の使う言葉の意味がぼくらの使う言葉の意味と違う、ということが考えられます。よくいう、あなたの見ている青とぼくの見ている青はほんとうに同じなんだろうか、みたいな話。実は別の色を見ているのだけど言葉でコミュニケーションする限りわからないだけなのではないか。そう、彼は、ぼくらに伝わる形式で文章を書いているけど、ぼくらが感じるのとはぜんぜん違う意味で書いているのではないか。たまたまそれがぼくらから見て整った文章に見えているだけではないのか。

また、もしかしたら、人間の使う言語の枠組みにはあんまり自由度がない、ということなのかも知れません。英語日本語中国語ヒンディー語といろいろあれど、覚えるとすれば予め遺伝子に定められたかたちでしか覚えられず、必然的に誰もが理解できるものになってしまうとか。

もうひとつ、彼の母親が非常に献身的であったため、きちんと言葉を習得できた、ということもあるのかも知れません。サリバン先生的な。これがおそらくは、求められる、美しい結論の気がします。


この本、最初は興味深く読んでいたのですが、半分くらいでぼくは飽きが来てしまったんです。なんというか、整いすぎている。自閉症の人に対する疑問質問、なんでそういうことをするの?みたいなのに著者が答えていく形式で書かれているんですが、背景に統一的な思想(実は自閉症って◯◯◯◯なんだヨ!)のようなものがあって、回答がすべてそこから来ているように感じられてしまいました。


機会があったら読んでみてください。そして感想を教えてください、って思ったんですけど、感想はAmazonに溢れてるしなー。ぼくのような歪んだ人はいないようです。なんだぼくが障害者か。