哲学的ゾンビ怖すぎワロタwwwwwwwww:哲学ニュースnwk
かつてのぼくはこういうテーマでしょっちゅうエントリを書いていた気がして、でも最近あまり書かなくなって、さていざ書こうと思っても書けない感じがあります。ぼくはそれについてどういう考えを持っていたのか忘れてしまった。書く力が失われてしまったようです。すこしずつ取り戻していきたいとは思うのですが。
なぜそうなったかっていうと、ある地点まで辿り着いてしまったからですね。それは、「これ以上は、実際に死んでみないとわからない」というところです。ぼくがぼく個人の力で試せることで、かつ最も興味があるのはそこだからです。死ぬとどうなるのか。"このわたし"は失われるのか。そういうのは、どれだけ人から話を聞いても、考えぬいても、わからないのです。実体験あるのみ。というそこに辿り着いて、もうそのテーマでは考えなくなってしまった。
でも生きてるのも楽しいしお酒飲んでだらーっとしてるのも楽しいので、どうせソレはいつか必ずやってくるのだしいまソレを急ぐこともないなぁ、と思っているのです。かんがえごとをしてるのもまた楽しいですし。なので生き続けてる。いまのところ。
いちおう今回の哲学的ゾンビのまとめは最後まで読んだのですが、まぁ大した話はなかったですね。なんか外してるのも多いし。水槽の脳もクオリアも哲学的ゾンビにはなんの関係もない。
でも哲学ゾンビも自分に意識があるように振る舞うわけだろ
「俺って哲学的ゾンビなのかな」とか考えたりして、その話を振ったりしてくるわけだろ
このあたりはちょっと笑いましたけど。なにかについて言葉で語るとたいてい自己言及的な一面が現れますよね、それはとても面白いと思う。