すべての夢のたび。

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ぼくはいままで進化論を間違って理解してました……

理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ

理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ

この本やばかったですわ。むっちゃ面白い。すごすぎてぼくには良さを説明しきれない。なのでオビの推薦文を引用しましょう(Amazonより)。このメンツがまたすごいんだが。

養老孟司氏(毎日新聞)「進化論の面白さはどこにあるか、なぜそれが専門家の間でも極端な論争を呼ぶのか、本書はそこをみごとに説明する。[…]近年ここまでよくできた思想史を読んだ覚えがない」


山形浩生氏(新・山形月報! )「おー。進化論におけるグールドの敗北を明記した上で、その敗北を救うだけでなく、それをぼくたちみんなが抱える問題の鏡として使い、進化論やあらゆる学問の基盤にまで迫ろうという力業」


加藤典洋氏(共同通信)「一見難解な文系と理系の間の境界領域をやすやすと遊弋し、エンタメまじりに楽しむ知的な書き手が現れたこと。[…]広義の「進化」イデオロギーから自由な、成熟した感性がここにあること」


著者によるとこの本は「私たちの進化論理解を理解する」ためのものであるとのこと。「進化論を理解」ではないことに注意。私たちの進化論理解は、要は誤解なのですが、なぜそんな誤解が発生したのか、そして学者が論じているほんとうの進化論とはなにかを、非常にわかりやすく懇切丁寧に教えてくれます。簡単には信じられないと思うけど、誤解なんです。

「進化」って辞書を引くとふたつの意味が書いてあります。「物事が次第に発達していくこと」と、もうひとつの意味。「適応」って辞書を引くとやはりふたつの意味が書いてあります。「ある状況に合うこと。また、環境に合うように行動のし方や考え方を変えること」と、もうひとつの意味。ほんとうに驚くべきことに、「物事が次第に発達していくこと」や「環境に合うように行動のし方や考え方を変えること」は、進化論とはまったく関係がないのです。進化論で言う"進化"は「進化」ではなく、"適応"は「適応」ではない……。ここには記さないですが、それぞれもうひとつの意味のほうが、学者が使っている意味なんです。


ぼくもなー、昔、なんかのキッカケで進化論のこと日記に書いて、そこで「適者生存ってトートロジーじゃん」「生存したやつが適者って呼ばれるだけじゃん」「つまり進化論ってなにも言ってないじゃん」みたいなことを言ったんですよね。そしたら、一部の人たちから結構批判を受けました。ぼくはそれを、科学教信者め、わかってない連中め、みたいに思ってたんですけど、実際はわかってないのはぼくのほうだった!(ということがこの本を読んでわかった!)のです。いやまぁ、トートロジーじゃんって自分で気づいたところはちょっと偉かったと思うんですけど(笑)、そんなのほんとうの進化論はとっくに追い越してて、もうはるかかなたの話をしているんですね。ぼくはぼくの頭のなかにあった「しろうと進化論」をほんもののつもりでバカにしてただけだった。ぼくを批判した人たちのほうが完全に正しかった。恥ずかしい話です。


「適者生存の世さ」「ものすごく進化したな」「◯◯の進化、極まる。時代は△△へ」のような言い回しは、すべて誤解された進化論に基づくもので、著者はこれらを「進化ポエム」と呼んでいます(笑)。ぼくが気になるのは、先日id:tokyocatさんが『知のトップランナー149人の美しいセオリー』という本を紹介されていて、そこに"予想されるとおり「ダーウィンの進化論」に絡んだ回答が非常に多い"という記述があったことです。さすがにドーキンスの語っていることは、きっとほんものの進化論のことだろうと思います。しかし、他の人たちは、どうなんだろう……。気になる、この本も読まざるを得ないですね。

そうそうドーキンスね。ぼくドーキンス嫌いなんですけど(笑)、『理不尽な進化』は論敵グールドにやさしい目線のところがとても良かったです。死んじゃったけどねグールド。ていうか、この本あったらもしかしてグールド勝てたんじゃないだろうか……? うむ、この本を武器に弔いの狼煙をあげなくてはいけないのではないか。そんな気もいたします。

読んで、そして、いままで自分は進化論を間違って理解していたのだ、という理解を得て打ち震えてください(笑)。呪縛が強すぎてなかなか離れられないような気はしますが。


最後にちょっと。この本めちゃくちゃにカッコ書きが多いです。セルフツッコミの。そこが気になる人は気になるかもしれないなぁ。