すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

同じことを何度もすることの記憶

GWに箱根の温泉に行きました(噴火騒ぎの前)。

その温泉は気に入っていて、何ヶ月かに1度は日帰りで行っています。その日も良い天気のなかお湯に浸かっていました。そしてお湯から上がろうとした時に、奇妙な感覚がやってきたんでした。

「あ、この記憶はもう知っている」というような。うまく言語化できなかったので実際にはもう少し違うものだったと思いますが。

温泉というのは、あまり刺激がありません。そこですることは限られているし、新しいイベントも起きません。その場所で、着替えたり、お湯に入ったり、食事したり、休憩所で休んだり、それ以上のことはなにも起きません。しかも、一度行くとその日のうちに何度か湯に浸かりに行ったりする。すると、これから経験するはずのことを、もう記憶しているんですよね。

これから起こることをもう知っている。これはもうやったことである。この感覚は、不思議なことに会社では起きないんですよね。たぶんそれなりに毎日いろいろ刺激があって繰り返しがないんだと思います。通勤途中ではまれにこの感覚に襲われることはあります。

その時にぼくが得た気付きのようなものは、つかみ損ねていまは失われてしまいました。もったいないことです。ただ、気付きの結果、あまりおなじことばかり繰り返すのは良くないんだ、と思い、なるほどいつもいつも新しいところに顔を出していく人たちは、たぶんそうなんだなぁ、思ったのでした。

それでも同じ所に行くなら、新しい記憶は付け加えられないので、すべきことは瞬間の経験を感じること、それに集中することだと思いました。つまりお湯に浸かっている瞬間に、その「お湯に浸かっている感覚」を大事に味わうこと、それ以上にするべきことはないのだと。いまそのときのことを思い出してもそれはただの記憶に過ぎず、感覚は付随しません。寿司を思っても寿司の味そのものは口中によみがえりません。そういうことだと思います。