すべての夢のたび。

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ぼくと世の中

障害者の権利は本当に尊重されるべき? - Togetterまとめ


障害者はプラスよりマイナスが多い。全体の利益のためには減らすべきだ。みたいな話題。

ここで、なにをもって「全体の利益」とするのかが問題で。たしかにほとんどの障害者は(「働き<手間」として)全体の生産性を下げるだけですが、そこだけ見ればいいわけではない。「障害者には何の庇護も与えません。勝手に死んでください」という世の中が実現したら(そして実際死んだら)、全体の生産性は上がるかもしれないけど、「もし自分が障害者になったら……」と考える人たちによって社会的な不安が増大し、なんらかの数値がマイナスになって、上がったはずの生産性を打ち消して総合的にはありゃー全然ダメじゃん、ということもあるかもしれないですよね。

でもまぁ、このマイナスはコントロール可能なマイナスなんですよね。たとえば日本では死刑賛成派が多い。「マイナスでも生きる権利が!」ってのより「いやいや殺しちゃったほうがいいでしょこういうの」ってほうが勝ってる、社会的な合意が取れてるわけですね。障害者についても、いつか世の中に余裕がなくなってきたら、そうならないとは限らない。


などと考えていたところで、もうひとつ別の記事を読みました。


なぜ世の中はよくならないのか - 珈琲をゴクゴク呑むように


圧倒的多数の社会的下層の人たちは変わりたくない。考えるのも努力するのもめんどくさい。そして少数の社会的上層の人たちも、最初は意識高くてもやがては下層人たちに疲れきってしまい、こいつらから絞りとって上層人だけでワイワイやるのが楽しいよねー、となってしまう。かくしてなにも変わらない世の中のできあがり、というお話でした。

面白いのは、ぼくの位置ですね。ぼくとか、大多数の人の位置。最初の記事では非障害者ということで見下す側なんですけど、2つめの記事では社会的下層の見下される側なんです。もちろん下層は上層の養分なので、絶滅させてやる!みたいなことにはならないとは思いますが、まぁお上の気分しだいだよね〜という部分はあると思う。そして下から手出しはできない(というか下の特性としてそういうことはしない)。まぁせいぜい目立たぬところでそれなりに楽しくやっていけたらいいですねーと思いました。


それで見下される気分がわかって障害者に優しくなるかというとそうでもないという。うーん。