すべての夢のたび。

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ボヤージュ・オブ・タイム観てきた


ボヤージュ・オブ・タイム - Wikipedia

『ボヤージュ・オブ・タイム』(Voyage of Time)は、テレンス・マリック監督・脚本による2016年のアメリカ合衆国のIMAXドキュメンタリー映画である。宇宙の誕生と死を探求する内容であり、40年以上にわたって取り組んできた「私の最大の夢のひとつ」と説明している。


一応映画見たらそれについてなんか書こうとは思ってるんですが、これは特に書くことがないかなぁ。ぼくには合わなかったみたいです。

自然の(一部は人間や都市の)映像と音楽と語りで構成されています。映像が美しいのはいいのです。しかし音楽と語りがむっちゃ眠気を誘う。うつらうつらし、はっ!と目覚める。ずっとこの繰り返しでした。もちろんこれはぼくの問題であって、映画の問題ではありません。

この映画について、Wikipediaにはドキュメンタリー映画と記載があります。ドキュメンタリーとは事実を記録した作品であり、フィクションの要素があったらドキュメンタリーではありません。しかし宇宙の誕生やその死は撮影することができません。ここは、現在までに解っている情報に基づきCGで表現するのはいいと思います。惑星の誕生とか生命の誕生もいいと思う。しかしこの映画ではCGの恐竜が出てきて森や海岸を歩いたりするんですな。ここで、あれっ?と思っちゃったんですよね。これはドキュメンタリーなのか?と。そのあとさらに、メイクした現代人が演じる原始人が動物を狩ったりするんですわ。ここで、ドキュメンタリー???ってなってしまった。想像で描いたものをドキュメンタリーとは呼ばないだろうと。

ただ、映画自身は自らをドキュメンタリーであると名乗ってはいません。それに映画がドキュメンタリーであるかどうかなんてところにこだわっているのはぼくだけかも知れません。まぁぼくはそこでひっかかり、入り込めなくなってしまったというだけです。

「語り」はポエムです。宇宙だか世界だか神だかを"母"と置いて、「母よ、あなたは」云々、「母よ、どうして」云々、みたいなのがずっと続く。とくに落ちというかまとめというか終着点はありませんでした。

Wikipediaによると、90分の35mm版と、40分のIMAX版があるそうです。日本ではやってないのですがIMAX版を見たかった。そっちなら気に入ったかもしれません。短いし映像も遥かに綺麗だろうし。