すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

死ぬまで生きる

これから書く話は、配偶者も子供もなしでこのさきずっと1人で生きて死んでく人間の考えていることなので、そうでない人には当てはまらないかもしれません。


ときどき、賃貸か持ち家か、みたいなのが話題になりますよね。ぼくは賃貸かなーと思うんです。持ち家は死んでも残るからです。たとえば資産価値が1000万の部屋だったら、ぼくは1000万の資産を使い切れずに残したまま死ぬ、ということになります。家族もいないのにもったいないですよね。もちろん、持ち家に住んでて、そろそろ死ぬかーってころに売り払って賃貸に移る、というのならそれでいい気もします。資産が残るくらいなら生活の質を上げたり旅行にでも行ったほうがいい。

資産といえば、体も資産だと思うんですが、これも使い切るようにできたらいいなぁって思ってます。自転車のロードレースって、車体を軽くするために、耐久性をギリギリまで落としてたりするんですよね。もうちょっと走ったら壊れる、みたいなところまで。そんなふうに、何十歳かまで生きられる程度の健康管理で、別にいいんじゃないかなぁと。ゴールが見えてれば、無理しないで、我慢しないで、もうあとは食べたいものを食べるし好きに飲む、ということも可能なんではないか。多くの人の健康管理は、ゴールを設定してないんじゃないかって感じます。

自分はここらへんまで生きる、ここらへんで死ぬ、っていうのが決まると、ミニマリストじゃないですが、そこを目指していろいろ手仕舞いをしていこうかな、って感じてきます。生活を小さくしていこうと思う。いろいろ片付けて、処分して、終わらせて、すぐ手の届く範囲のものだけにしていこうかなーと。最近はよくそういうことを考えています。前からときどき考えてましたけど、考える時間が増えた。


「死ぬまで生きる」というのは文字にするとあたりまえのようですけど、永遠に生きる気分で生きている人のほうが、たぶん多いんじゃないでしょうか。別にいつ死ぬかを考えることを推奨するわけではないです。ひとそれぞれにうまいやりかた(やりすごしかた?)があると思うので。ぼくはこうしたほうがいまをよりよく生きられるような気がしたので、こうしてます。