すべての夢のたび。

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"脳は記憶そのもの"とはどういうことか


「脳は記憶そのものである」って、言われてみればああそうかーって感じですよね。

たとえばハードディスクってのは記憶そのものではないわけですよ。こいつにいくらデータを書き込んだって、形は変わらない。磁性を変化させてデータを蓄える仕組みです。でも脳にはそういうふうに記憶を蓄える場所はどこにもないという。ニューロンの接続が変わる、つまり形を変えることで記憶するという。この差は大きいですよ。完全機械式のアナログ時計と、液晶にアナログ時計の文字盤っぽいものを表示する時計くらい違うと思います。ハードでやるのとソフトでやるのの違いですね。

脳が記憶そのものであるとすると、たとえばSFでよくある「脳への記憶のダウンロード」みたいなことは、そう簡単にできるものじゃないぞ?ってことがわかります。ダウンロードは書き込むイメージですけど、実際には(恐ろしい数の)ニューロンの結線を変え、接続強度を調整してやることになるわけです。同様に、記憶の読み出しも難しいですよね。構造をどうやって写し取ればいいのか? それこそまるまるスキャンするようなことをしないとダメなんじゃないでしょうか。

この話でちょっとゾクゾクするのが、たとえばいまコンピュータの世界ではニューラルネットやらディープラーニングやらやってるじゃないですか。あれって、人間の脳を模して、という部分があるはずなのですが、実は全然違うことをやってる、まったくそんなんじゃなかった、って可能性もあり得るんですよね。

人間がAIをイメージするときは、どうしても「アルゴリズムとデータ」になりますよね。データがあって、それを処理するアルゴリズム、ロジック、プログラムがある。でも脳ってのはそれらが一緒くたになったもんなわけです。分離できない。時計の例で言えば、液晶にアナログ時計の文字盤っぽいものを表示する時計にはCPUがありますが、完全機械式のアナログ時計はどこがCPUと言えるんだ?ってことです。時計のどこにも、全体をコントロールしてる場所は見つからない。あらゆる部分が有機的に結合して全体として何かの表現になってるという。

しかしそれってどういうことなんや?と自分でも思います。どういうことだ。わかりません。世界はアルゴリズムとデータに分離できないのです。なのにぼくらはどうもいまのところアルゴリズムとデータに分離させないと世界を理解できないっぽいという。なんか新しいものの考え方を持ってこないと、永遠に世界の真の姿を見ることができなかったりして。