すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ガザは遠くの他人

どうしてぼくはあの空爆を受けている子供たちを助けてあげられないのだろう? と、すこし考えて、そしてすぐわかった。ガザは日本からでは遠すぎる。地球の反対側だ。映像の中の子供たちを今から助けようなどと思ってももう間に合わないのだ。技術の進化のおかげで音と画だけはすぐ届けられるようになったけれど、「近くなった」などと考えるのは間違いだ。爆風も届かないし。

遠い、というのは距離と時間だけの比喩ではない。たぶんあらゆるものが遠い。言葉も違えば人種も違うし、宗教意識も低いから同じ神を崇めているイスラムとユダヤでいがみ合う理由に想像も及ばないし、イスラエルとパレスチナの歴史になにがあったのかもたいして知らない。考え得る限りひたすら遠い。近ければ、すぐに、細やかに、個別に対応もできるだろう。けれど、遠く離れたここからではそうもいかない。時間を要し、おおざっぱで、届いたのかどうかそれすらもはっきりしないような支援、できてもそれがせいぜいのところだろう。

どうすればいいのか? 今からすぐやればいいのだ。今すぐやれば、遠く離れたここからでも、もしかしたら次の紛争には間に合うかもしれない。では今のあの子供たちをどうすればいいのか? そっちは、もうあきらめるしかない。手遅れなのだ。それは厳然たる事実で、あとは、そのこと、何もできないことを自分にうまく納得させられる言葉を探せばいいのだ。それしかやれることはない。だってイスラエルとパレスチナがずっと争っていることは知っていただろう? 昔から殺し合いをしていたのを知ってるだろう? でも、なにもしなかっただろう? その結果、今日になって子供の死体写真を見ることになったわけだ。


まぁ、結局はなにもしないのだけど。たまたま死体写真を見てしまったので、ちょっぴり感傷的になった。今起きていることはただそれだけだと思う。