すべての夢のたび。

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死を想え

お酒を飲みながらぼんやり、日本に生まれてよかったなーとか考えていました。

日本生まれのメリットは、生きるのに頑張る必要がないことです。とりあえず最低限生きていくだけでいいのなら、多分、なにもしなくていい。貧乏な国では、そうはいかない。日々の糧を得るために頑張らないといけない。そうしないと、死んでしまう。日本だと死にそうになってさえ無理矢理生かされたりするのですが。

貧乏な国では、人はまず生きることが目的です。そして生とセットである死は、ただ避けようがないものとして向こうからやってくる。一方日本では、人はほっといても死なないので、もう生きることは目的ではなくなってしまいました。ほっといても死ななくなった。つまりここでやっと、ではいつ如何にして死ぬべきか?という観点から死を考えられるようになるわけです。それは選択可能で、こちらの手に任されることになった。

多分日本では、ここ数十年だかの間に時代が変わったのです。それなのに、過去の、生きることが目的、みたいな風潮がまだ残っていて、んで病院でチューブにつながれてのだらしない死、なんてのを迎えることになったりするんじゃないかと思う。もっと日本人は死を想うべき。言い換えると「ただ生きる」ことから、「どう生きて、どう死ぬか」に頭を切り換えるべきなんじゃないですか?

生きものが「ほっといても死なない」ってのはけっこう大きな話で、実は生物進化においてのひとつの転換点ぐらいのことだったりするんじゃないかとなんとなく思う。貧乏な国はよりお金のある国へ、飢えがなく平和で安全な国へ、を目指しているはずなので、それが正しいかどうかには関係なく、とにかく矢印はこっちを向いてるはず。で、日本は、そこに先に到達してしまった。世界の生活水準をもしならしたら日本はぐっとレベルが落ちるだろうから、まぁぼくらは多くの貧しい国があるおかげでこんなふうな生活が出来てるんじゃないのかねーとか思うわけです。だからこそ、死を想うべきかと。そんなことを考えられるのは、いまのところ先に行ってて余裕ある国だけなんですから。