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すべての夢のたび。

雑記ブログ

「心がある」とはどういうことか?

昨日観た『her/世界でひとつの彼女』の影響ですこし考えてるんですけど結局いつもとおなじだ。

コンピュータとかアンドロイドとかロボットとか、まぁどれも似たようなもんですが、そういう機械知性ができたとして、それに心があるか、心を持っているかどうか、ということがなんでか気にされる。昔からのテーマですね。どうしてみなそこにこだわるんでしょうね。

心がない、心を持っていないとはどういうことか? アンドロイドがいて、まったく人みたいな受け答えをするのでふつうに話をしていたんだけど、でも製作者が「これには心がありません」と言ったら、こっちの対応が変わるんでしょうか?

おそらくぼくは、心があるとかないとか関係なしに、人みたいな受け答えをする機械知性が現れたら、人はそれに対して人を相手にするように振る舞うと思うんですよね。ひどいことは言えないと思う。おまえ機械だろ、心なんてないんだろとは言えない。だってそれで傷ついたような応答されたらヤじゃないですか。

……というあたりが、いままで来たところ。機械知性が人っぽければ心の有無なんて実際関係ないんじゃね?っていう。でもなーこれじゃ問題を避けてるよなー。もう少し先へ行きたいのですが。

そもそも「心がある」ってのはなんのことを言ってるの?というのがよくわからなかったんです。でもちょっと考えたんですけど、こんな感じでしょうか。iPhoneのSiriは、呼ばれたらそれなりの受け答えをするけど、呼ばれるまでは何もしてない。もしかしたら存在すらしてない。呼ばれた瞬間に生成され、適当な答えを返し、消滅していく。でも『her』のサマンサは、こちらが呼ばない間も、居て、何かを思ったり考えたり感じたりしてるような、気がするんですよね。

心があるってそのようなことでしょうか? どう? ちがう?

でも相手に心を見出すのってたぶんこっち側なんですよね。結局のところ、相手に「ほんとうに」心があるかどうかって、どこまで行ってもわからない。なのに、機械に心があるかどうかを気にしてるんです。それも変な話ですよねぇ。石に心があるってわかったらどうすんだろ。ずっとじっとしてるけどあれ実はなんか考えてるんです。蹴れなくなったりするのかな。