すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

それはただの風邪

「風邪説」というのを考えました。

「書きたいことはないんだけど、とにかくブログをやりたいんだ。」


こういう人への回答として、「それは風邪だから」というものです。
つまり、「時間が経てば、そのうち治る」というわけ。
「そのまま、そんなふうに、ぐずぐずいってればいいんじゃないッ?」
どうせ、そうやってうだうだやってるうちに、いまの「書きたい気持ち」なんてどこかへ消えてなくなっちゃうだろうから、さ。
(でも、こじらせると慢性化します。「いつまでもぐずぐずいってるだけの人」になる)


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「書き方が解らないけど、書きたい人」については、もしメールでももらったら、書かれたものを読みにいって感想書くぐらいはしてもいいとも思う。けど、「書きたいことがないけど、書きたい人」には、優しくはなれないみたいです。なんとなく、嘘のニオイがする、からかなぁ。

つまりほんとは、その人は「書くことがない人」じゃなくて「書けない人」なんじゃないか、って思うんですよ。「やればできる(でもやらないだけ)」タイプの人が、自分を偽るために「書けるんだけど、書かないだけなんだよー」って触れ回ってるのが、「書きたいことがなくってさぁ」なんじゃないかな? そういうケースが多いような気がする。

だって、「書ける人」なら、実は書きたいことなんてなくっても書けますからね。プロなら、必要ならそれこそ何についてでも何かを書けるだろうし、素人の自分だって、書きたいことがなければネタを探してきて書きます。誰もがびっくりするようなスクープとか、劇的な体験とか、そんなのばっかりがネットに溢れてるわけじゃなくて、たいていの人は、そこらに転がってるなんでもないようなことをネタにして書いてるわけです。同じ世界に住んで同じものを見てるのに「書きたいことがない」って言うのは、「ネタをネタと見抜く力がない」、ってことの表明なんじゃないですか? それか、ほんとうに、「書き方が解らない」だけ。

でも“文章力”のなさを「書きたいことがない」って言っちゃうのはどうよ?って思うんですけど、実は“それ”がないから自分の気持ちをうまく言えてないだけで、かつ、“それ”がないからうまく言えてなかったってことにも気づかない、というだけだったりして? もしそうだったらちょっとむつかしいですね。