すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

シュレ猫

煩悩是道場 : シュレティンガーの猫を再解釈してみました。


ワラタ。そして思った。生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせって……死姦!? そういうプレイ?(ちがいます)

例のたとえ話で言うと、ぼくが書くなら「半分だけ好き」じゃなくて、好きかどうか考えた瞬間にそれが確定する、ってふうかなぁ。「あなたのことを好きかどうか、ちゃんと考えたことはなかったわ。でも、『結婚してくれ』って言われた瞬間に、別に好きなわけじゃなかったんだってハッキリ解ったの」みたいな。あるあるそれ。

ちなみに、以前書いた「小澤の不等式」の話がホントウだったら、シュレ猫話も再解釈を迫られることになるはず。あいまいさが無限大じゃなくって、ある範囲内、不等式の内側に収まるので、生きてるか死んでるかは条件次第で確定してしまうらしい。ってふうな感じだったと思うけどもう忘れた。(「小澤の不等式」とは、ハイゼンベルクは粒子そのもののあいまい性と測定誤差をごっちゃにして考えてるみたいだよ?って感じの話です)


追記:あいまいな状態とかっていうと虎眼先生のようだ。

人の名前を覚えられない

http://rere.sakura.ne.jp/diary/20060611.html#p04

laisoさんの「人の顔をなかなか覚えられない人」という話。面白いと思った。理由は、自分は「この人、だれだっけ?」と思うタイプの人なので。たとえば社内で見覚えある顔とすれ違って挨拶を交わすんですが、それは向こうがどうやらこっちを知ってそうだからそうしただけで、すれ違ったその後で「だれだっけ?」となるわけです。同期なのか違うのか、過去に一緒のプロジェクトでやったことがあるのか、それとも他社の人間だったっけ?みたいな。そこからすると、「人の顔を覚えられない」と感じるそれはどういうシチュエーションなんだろう?と思ってしまう。

顔と名前(やその他の属性)が一致しない、という状況をある角度から見ると「顔が覚えられない」、別の角度からなら「名前が覚えられない」となるのではないか? んだもんで相貌失認とかとはまた別の話なのじゃないかって気がします。

例えば、クラス替えをして40名全員を覚えきるのが3学期だったり、

って話が引用されてましたけど、ふつうに1年終わっても2/3くらいしか覚えてなかった。とくに話する機会もない(必要もない、と当時は考えていたようだ)女子とかまるで覚えられん。(クラス会の類とか1度も出たことないけどまぁそれは別の問題ですか)

自分のケースで確実に言えるのは、他人への関心が薄い、ということですね。しかし実は先日anotherさんが夢に出てきた。すげえ。いやなんか「ちょっとそれは如何なものか」的コメントをブログに残されていった、って夢なんですけど。へんな登場のさせ方ですみません。そしてそもそも人の名前が覚えられない自分は、ネット上で知り合い、ネット上だけで付き合っている/いた人たちのことを、この先どういう形で記憶していくんだろう?とちょっと考えたりもした。