煩悩是道場 : シュレティンガーの猫を再解釈してみました。
ワラタ。そして思った。生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせって……死姦!? そういうプレイ?(ちがいます)
例のたとえ話で言うと、ぼくが書くなら「半分だけ好き」じゃなくて、好きかどうか考えた瞬間にそれが確定する、ってふうかなぁ。「あなたのことを好きかどうか、ちゃんと考えたことはなかったわ。でも、『結婚してくれ』って言われた瞬間に、別に好きなわけじゃなかったんだってハッキリ解ったの」みたいな。あるあるそれ。
ちなみに、以前書いた「小澤の不等式」の話がホントウだったら、シュレ猫話も再解釈を迫られることになるはず。あいまいさが無限大じゃなくって、ある範囲内、不等式の内側に収まるので、生きてるか死んでるかは条件次第で確定してしまうらしい。ってふうな感じだったと思うけどもう忘れた。(「小澤の不等式」とは、ハイゼンベルクは粒子そのもののあいまい性と測定誤差をごっちゃにして考えてるみたいだよ?って感じの話です)
追記:あいまいな状態とかっていうと虎眼先生のようだ。