すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

無料大好き

Windows Vistaのベータ版、試してみませんか?

下記「Download Link」から、ダウンロードリンク有効なシリアルを手に入れることができるみたいですよ。


わーなんか出た。


ということで、早々に落としてDVDに焼いてみたところこんなの↑が出ました。とりあえずインストールしません怖いから。互換性チェックだけ試してみようっと。

人を不快にする権利

 渋谷公会堂(渋谷区宇田川町)のネーミングライツ(命名権)の取得先が9月20日、明らかになった。権利を取得したのは電通(港区)で、導入後の施設名称は「渋谷C.C.Lemonホール」。

 契約期間は5年間で、取得金額は年額8千万円に消費税を加えた計4億2千万円。同社はすでに大手飲料メーカーのサントリーに対し権利を転売済みで、炭酸飲料「C.C.Lemon」の名を冠した施設名は、今後5年間存続させるという。


5年ものあいだ「C.C.レモンホール」になってしまうらしいですよ。いっそ外壁も黄色に塗ればいいと思う。

そこで当ブログも命名権を売りますってのはどうだろう。お支払いは今すぐはてなポイントで。注目エントリ数保証。ユニークユーザー数保証。安心・簡単・保証人不要。秘密厳守で日本全国最短15分で手配いたします。というわけで明日アクセスしたら「で、××××はどうするの?」になってるかもしれません。

自由意思によって腕を上げることはできるのか?

自由意思について考えるキャンペーンもひとまず今日を最後としたいと思います。で、今回はまた別の角度から。(とりあえず「意思するより運動神経が0.5秒早い」とかいう話は忘れてください)


哲学の謎 (講談社現代新書)

哲学の謎 (講談社現代新書)

この本の第8章「行為と意思」のあたりをヒントにやってみます。


無意識的な動作は除きますが、通常、能動的な行為には意思が伴う、と考えられています。腕を上げようと意思したから腕が上がる。指を曲げようと意思すれば指が曲がる。ここには「意思」から「行為」という流れがあるように見えますね。ですが、このとき、最初の「意思」はいったい何によって引き起こされたのでしょうか?

腕を上げようと意思したから腕が上がる。この「腕が上がる」ことを「能動的な行為」とするなら、当然、「腕を上げようと意思する」ことも能動的に行われたものでなくてはいけません。ふいに(不意に)誰かに驚かされてビクっとするのを「能動的な行為(ワザとだよ!)」とは、誤魔化す場合を除いてふつう言わないですよね。

「腕を上げようと意思する」――と書くと、いかにも「意思する」ということを能動的に行えるように感じられます。しかし、能動的な行為を始めるには、まずそれを意思しなくてはいけないはずです。すると、「“腕を上げようと意思しよう”と意思したから、腕を上げようと意思できた」ということになってしまいます。これでは無限後退してしまい、いつまで経っても腕を上げることはできそうにありません。

しかしこういったことは率直に言って実感とは懸け離れています。ではなぜ、あなたは「腕を上げようと意思する」ことができるのでしょう。わたしが今何度もブログにそう書いてるからでしょうか? しかしそれでは、コンビニでついCMで見た商品を選んでしまう人のようで、ちょっと能動的な行為とは言いにくいのではないでしょうか。それとも、ふと(不図)、そう思った、そう意思したのでしょうか? でもそれって、意識に上らない、意識では感知できないような小さな原因が無意識の中にいくつも積み重なった結果、あるときそれが意識の表面に浮かび上がり、「ふと」思ったように感じた、と、そういうことなんじゃないでしょうか? と考えると、これらはいずれにせよ受動的に行われているのであって、能動的に意思できている、と言える部分は存在しないのです。


座禅の修行では、心に浮かんだ雑念を無理に振り払おうとせず、そのまま眺めなさい、というようなことを言われることがあるそうです。振り払おうとすると余計にそれについて考えてしまうので、あえて力を抜いて一歩引いた位置から見るんですね。ああ、自分はいま○○について考えているようだなぁ……お、次は□□のことか……というふうに。というのとはちょっとだいぶ違うんですけどね、こう、手を前に出して、ジッと見つめる。指がひとりでに動くまで見つめる。動き出す瞬間に意識を集中して、あ、いま自分、指を動かそうと思った? 思わなかった? って自分を観察してみると面白いですよ。どんどん変な気分になってきます(やりすぎないように……)。