すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ちょろいもめごとのつづき

http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20061112#1163261874

昨日寝る前にメール出して、朝起きたら返事が来ていました。エントリの削除には応じられないがコメントの引用部分は修正してもよい、と書いたら、そうしろとのこと。めんどいんで明日にでも修正します。「自分のエントリに付けられたブクマだからといって、あたかも自分のものであるかのように無断で引用するのが許せない」のだそうです。ふーん。

で、そのあと、ここから先は読まない方がmichiakiさんのためだと思います、と前置きして……長文。ほんと、好っきやな。斜め読みで要約すると、言葉を軽々しく扱って責任を取らない態度が非常に気に入らない・許せない、ということらしいです。で、最後に「僕はあなたが大嫌いです」で締められていました。なかなか聞けるセリフじゃないな。それを言うことで少しでもかの人の気が晴れればいいんですが。

ああ、でも、もしかしてここの日記、コメントしないアンテナに入れないRSSに登録しないブクマしないTBしないサイレントマジョリティにはものすっげー嫌われてたり、とか、そういうことはあるのかもしれないなぁ、とちょっと思いました。その人たちを考慮に入れて日記の方針変更を決定したりはしませんけど。

死にゆくあなたへ贈る言葉(は、ありません)

「生きていればきっといいこともあるよ」っていうのは、おそらくその昔、誰かが誰かの自殺を止めようとして、でもいったいどうすればいいのか見当もつかなくて、そういったもうほんとに言葉もないギリギリの状況で咄嗟に口から出てしまった嘘、なんじゃないかなぁと思う。で、なんだかこの言葉は一人歩きしてて、自殺なんてする気もない幸せな人が「真実なんじゃないか?」とぼんやり信じてしまってたりする。けれど実際には、「生きていればいいこともある、かもしれないし、もちろん悪いことも同じようにあるかもしれない。(でも自殺を思い立つような人の場合、その境遇を考えると、きっと当面は悪いことのほうが多いよね)」というあたりが正確なところでしょう。

 自殺を考えている人を目の前にして、私が何か言えるかというと、きっと、口を開かない方がいいのだろう。

 なにか有益なことが言えそうな人、として、fromdusktildawn氏、弾氏、michiaki氏が思い浮かんだ。理由は特に無いのだけど、以下のエントリーのようなことなのだろう。

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061112/1163289097

  • 1段階目は、まだ「おとぎ話」を信じている状態。
  • 2段階目は、それが「おとぎ話」であることに気がついた状態。
  • 3段階目は、自分自身の価値を打ち立て始めた状態。


大御所と並べられてしまったので何か言わなくちゃいけないと思って。でもこれって、ふつう、なんか思い留めさせるようなことを言えるか?という話なんでしょうけど、ぼくはそういう言葉は持ってないので言えません。腕を組んでう〜んと考えても、ぼくが自殺して欲しくないと思うのはうちの別居中の奥さんだけです(もちろん理由は「世間体が悪いから」)。あとは、いつもコメントくれるあの人だろうがブクマしてくれるあの人だろうが止める気はないし、好きなアーティストが自殺しようが漫画家がしようが、特に構わないですね。そういうのはその人の判断で行われることだし。ただもう話ができないとか新作が見れないとかいうだけで、ぼくにとってのその人との関係やその人の価値が何か変化するわけでもない。

そうですねぇ。ぼくが自殺の現場、これからしますよ、というシーンに行き当たったら、まぁ止めはしないけど話はするかもしれないですね。何かして欲しいことはないか?とか。ぼくがもし自殺するとしたら、死体はさっさと片づけて欲しいので、他の人ももしかしたらそうなんじゃないかと思う(当然、事後にすぐ警察に連絡、ということになります。自分ではやんないですよ)。あと誰かに伝えて欲しいことはないか、などなど。そういう希望を聞いたら、なるべく実現してあげようと思う。「自分のことを覚えていて欲しい」と言われたら、そうする。年1回くらいだったら墓参りに行ってあげても構わない。まぁぼくもそのうち死んじゃうんで、それまでの間だけですけど。

「どうせいつか死んでしまうのに、なぜ今死んではいけないのか?」と言われると言葉に詰まるけれど、しかしこのセリフは「どうせいつか死んでしまうのに、なぜ今死ななくてはいけないのか?」であってもいいわけです。もちろんどっちを選んでもいいし、別にいけないこともない。そしてみんな死ぬよー、超しにます。今65億人地球にいたって、100年後にはこれ全員死んでるわけですよ。自殺しようが事故で死のうが殺されようが寿命を全うしようが、早い遅いの違いだけです。大した話ではないです。100年後の地球はもう別の人たちが住む星です。なんだか不思議な感じですが。


ところでぼくには自殺をしようとして未遂に終わった経験を持つ知り合いが2人います。2人とも話を聞く限りでは完全に本気だったらしい。なんの加減か死ななかったわけですが(詳しい状況はさすがに書けません)。そういう人たちがときどきこの日記を見たりすることもあるのですが、まぁぼくの思うところは変わらないし、自分の考えを伏せておこうとも思いません。2人とも未遂を繰り返すタイプではなく、決行したのは双方一度きりのようですが、もし、もう一度やる、と聞かされても止めないと思います。うんわかった、と言って、きちんと見送ることができるように務めようとするでしょうね。