タイトルは忘れたが、こんなのがあった。師と弟子候補の会話。
「先生のところに入門したいんですが」
「持っているものを全部捨ててから来なさい」
「先生、財産も家族も地位も捨ててもう何も持っていません。どうぞ入門させてください」
「その『何も持っていない』という考えも捨てなさい」
要するに、ソレが頭にある限りソレから自由ではない、
本当にこだわらない人は「○○にはこだわらない」という発言さえしない、ということで。
前も書いたけど、精神的なものを含めた人間の活動には随意のものと不随意のものがあって、「好きになる」等は後者なんですよ。「好きにならないようにする」という文章は、日本語としては成立するけど、意味解って使ってんのかな?と思う。好きにならんよーにする、つーのは、「ワタシはこの心臓がドキドキするのを制御できます」って言ってるのに全く等しい(修行を積んだヨガの行者なら可能かも知れませんが)。「好き」はなった後で気づくもの。本当に好きになりたくなければ、ソレに近づかないことだなー。