すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

150番目の妹

あなたの気づいてないあなたに関する事実について、わたしが知っていることがあります。「あなたには150番目の妹がいません」


「やさしい世界論の書きかた」のなかの“神様”のセリフ「キミがいない世界でキミがいないことに気づくひとは誰もいないよ」は、こんなようなことを言ってます。と、作者が気づくのに時間がかかりました(今朝方気づいた)。つまり、否定形による叙述には警戒する必要がある、ということです。「あなたがいない世界」とは、ほんとうのところ何を意味しているのか?


この世界にはあなたがいます。わたしもいます。でも“kdjhiuyiwu3yrui”はいません。“えうふらだおうぢえぬうお”もいません。まぁ見てわかるとおり、いま適当にキーボードを叩いたので、いませんよねこんな人たち。でも、なんであなたは、“kdjhiuyiwu3yrui”や“えうふらだおうぢえぬうお”や“あなたの150番目の妹”がこの世界にいないことを気にも留めないんでしょうか? そして実は、「あなたがいない世界」におけるあなたの「いなさ」加減は、“kdjhiuyiwu3yrui”や“えうふらだおうぢえぬうお”や“あなたの150番目の妹”がこの世界にいないことと全く等しいのです。

「やさしい──」に出てくる女の子の名前を仮にNとしておきます。で、Nの両親が出会わなかった世界にちょっと行ってみましょう。そして、Nの母親に相当する人に話しかけてみます。ここはあなたの子供のNがいない世界ですね。彼女は言います。たしかにNという名のわたしの子供はいません。しかし、A1、A2、A3、A4(無限回繰り返し)という名のわたしの子供もいません。なぜあなたは「Nがいない」ことだけを特別に言明したがるんですか?

端的に言えば、「Xがない」という否定形の叙述は、Xが現にある世界(X概念がある世界)でのみ有効な使い方ができるということです。X概念がない世界で「Xがない」と言うのは無意味、とは言いませんが、X概念がある世界で「Xがない」と言うことに比べたら、その重さは正確に「1/∞」でしょうね。あなたの家のテーブルには、わたしがイメージする果物β、見かけはスターフルーツだけど表皮が銀色の毛に覆われてて果肉はピンク、歯ざわりはグミっぽくて味はレモンと栗を混ぜたようなアレ!が「乗ってないですよね?」 この「果物βがない世界」と「あなたのいない世界」は、同程度の意味の重さしかない言葉です。


もし「やさしい──」を今後改定することがあるなら、このへんの話を取り込みたい。“神様”は言います。キミはさぁ、キミがこの世界に存在できたことを嬉しいと思ってるようだけど、じゃあなんで、この世界にキミの150番目の妹が存在できなかったことを悲しいとは思わないのかな? するとNは───


「…………………………」
「どうしたの? 目なんてつぶっちゃってさ?」
「………きっと、可愛かったろうなって思って」
「ん?」
「ワタシの150番目の妹です。逢えなかった彼女のために、髪を梳いてあげて、口紅を塗ってあげてました。ワタシ、なにもお姉さんらしいこと、できなかったから」
「そっか」


と、こんなふうな展開になるのです。(もちろん“神様”はパラレルワールドのNの150番目の妹を知ってます。そこのNの父親は超絶倫浮気性か超モテ結婚離婚リピーターのいずれかまたは両方であるわけです) まぁ、Y師匠の言うとおりネタの使い回しもアレなので、このバージョンの「やさしい世界論の書きかた」が読める世界もどこかにきっとあるんだなぁと思っていただければ。