すべての夢のたび。

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なぜ“われわれ”は生きなくてはいけないのか

件の質問で「殺人をよしとすると社会が成り立たない。だから殺してはいけない」系の回答をずいぶんいただきました。けれど、いま思うと、これって「“われわれ”は、生きなければいけない。発展し、繁栄しなければいけない」ってのが前提にありますよね。

では、そもそもなぜ“われわれ”は生きなくてはいけないのか? 社会の不成立を根拠に殺人禁止をいう人は、これに答えられるはずですよね。これに答えがないなら、殺人禁止の根拠があやふやになる。またはてなで聞いてみたいけど、また話題になりそうなのでやめておきます。

わたし的には、個としての「生きる意味」についての考えは、算術師さんのエントリに書かれている内容(=生きる意味なんてものはない)にかなり近いです。毎日が楽しくないひとや、心の強くないひと、宗教のないひとなどは、なにかにすがらなくてはいけないのでしょうけど。

でも、個に生きる意味がないなら、全体にもないのではないか?とは、必ずしもならないかも知れないな、とも思います。創発的な視点で“われわれ”を見たときに、人類として生きる意味はなにかあるのかも知れない。ただ、それは個体としてのヒトにはまったくうかがい知れないし、個人の生きる意味とは無関係でしょうね。


追記:

新藤さんのページ『みんなの予想を超えて』の2005/8/26ぶん

すみません、わたしの問題にしたかった部分とだいぶずれてます。わたしは単に、「なぜ一部の人(回答者の番号で言うと、1・4・6あたりに始まる人たち)は『“われわれ(社会)”は生きなくてはいけない』と考えているのか」を聞いてみたかっただけで、それは例の質問とはほとんど関係ないです。それが無根拠な命令(=そんなのあたりまえだ)ならそれでもよし、理由があるなら聞いてみたい、というだけです。

新藤さんの論理はちょっとわたしには追いにくいです。わたしになんか欠落があるせいだろうとは思いますが(セカイ系者は社会とかいうものにほとんど実感を持てないのですよ。でも、そもそも「殺したい」と言ったことはないと思う)。なんていうか、桶屋が儲かっても、そんなこと自分に関係ないじゃん?という感じでしょうか。や、桶屋が儲かると考えると、競馬にお金をつぎ込む上で心理的抵抗値が下がるのかもしれませんが。