すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

結婚と幸福

タイトルは適当。p_shirokumaさんのブログに「これから式場の下見に行ってきますが」というエントリが上がり、おー、と思っていたのですが、その中で「幸せ」についていろいろ語られていて、ふーむ、と自分でも考えているうちになんとなくまとまってきたので、↓のエントリを書きました。ほとんど関係ない内容になっていますが。

あ、おめでとうございます(遅)。自分が気になるのは、p_shirokumaさんはお相手の方と、ブログでやってるような議論をするんだろうか、というあたりですね。するのかな。しないのかな。ぼくは奥さんとはこのブログでときどき書いているような話(なぜころみたいなのとか)は、一度も話したことはありませんでした。彼女がいまここを見てもぼくだとは気づかないんじゃないだろうか。

↓のエントリでは、幸福は人それぞれー、みたいなこと書いてますけど、それでも、多くの人がわりとうまくいってるらしいやりかたというのはあって(たとえば結婚とか)、それを試してみる、というのは充分に有効な戦略だとは思います(もちろんもちろんp_shirokumaさんにおかれましてはもっと遥かに深く熟慮に熟慮を重ねた末の選択、なのでしょうけど)。幸か不幸か(不幸か)、ぼくの幸福はそこにはなかったみたいなのですが。ああでも、すごく楽しかったですけどね、結婚生活は。と言えるほどには回復しているし遠くもなっている。ちなみにp_shirokumaさんのエントリのブクマコメントでFTTHさんが「結婚しない人じゃないっけ、と一瞬思ったがそれみちアキ氏だった件」と書かれてますが、ぼくは結婚しない人じゃなくて結婚できない人です。日本では重婚は認められてはいませんので。喪中の人ですら法律上は結婚は可能なのにぼくは可能性ゼロだ。なんかすげー。

で、もちろんいまのぼくは幸福です。まぁそういう機会はないと思いますが、もしこれを読んでいる人がぼくに会うことがあったたなら「幸福か?」と尋ねてみればわかります。なんの躊躇もなく「はい」と答えるでしょうし、本人的に特に疑念もなくふつうに言ってるだろうことはたぶん目にすれば感じられると思います。だってそうだもんな。


「幸福」は面白いテーマなのでまたいずれなんか書くかも。ごめんなさいね幸福で。しかし↓のエントリはちょっと隙があった。「“幸福”的状態を知らない」のと「幸福という言葉を知らない」のは分けないとだめかな。↓のは前者についての話。後者については、たとえば物語でも、「あ、自分っていま、幸福なんだ」と気づくシーン、ありますよね。そういうふうに、状態は知っててもそれをなんと言うのかしらない、ということは有り得る。私的言語(は不可能??)の話になってくるのかな。