すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

結婚観のはなし?の補足

@crowserpentさんに、件のエントリを書くきっかけとなった@crow_henmiさんとのtwitterでのやりとりをTogetterにまとめていただいてました。ありがとうございます。twitterとエントリと、だいたい同じこと言ってると思う。

Togetter、流行ってますよね。たぶん編集する楽しみがあるんだろーなー。みなそれに目覚めたのではないか。もっとも、やりとりの流れから一部を切り出すわけなので、まとめの最後が、あれ、これで終りなん?という感がいつも残りますよね(今回のも深夜だったのでぼくがここで寝ることにして打ち切ったのですw)。編集した人が最後になんかひとこと付け加えられたら面白いのではとちょっと思ったのですけど、まぁ余計かな。あとどのツイートがどのツイートへのレスなのか推測せず読めるともうちょっといいのかな。

@manameさんから☆3つもらってた! ありがとうございます。ていうか"@"付けて書いたらtwitterにreply飛ぶようにしてくれよ!と思ってこんな書き方にしてます、飛ばないので意味ないけど。


はてブでのid:ROYGBさんのコメントより。

別居するときに残した荷物の処分の話のときにも思ったのだけど、物などに対する執着が少ないという印象。でもその物の処分と同時に結婚を終わらせはしなかったのだなあとも。


物に対する執着はないほうだと思います。なんでだろう?と自分でも理由を考えたことがあります。まずひとつは、物ってのは記憶を呼び出すためのトリガーなのですよね。大事なのは実は記憶のほうであって。そしてよく言われるように、忘れてしまうようなことは大したことではないのだ、と考えると、物なしで思い出せないようなことはどうでもいいことなんじゃないかと思うのです。ふたつめは、ぼくはお金持ちではないので、ぼくの持っているものは大抵コピー品です。本だろうが同人誌だろうがCDだろうが、一点物で唯一これしか世にない、というものはない。そういうコピーに思い出が付着すると人によっては一点物化するのでしょうけど、それについては先に述べた通り。ということで、お金さえあればぼくは同じものをもう一度揃えることができる。となると無くすことがあまり気にならなくなるし、最初から手に入れない、という選択があることも解る。みっつめは、とは言っても家の中に物は多いのですが、でもざっと見回して、この1年で手を触れたものが果たしてどれだけあるだろう、と考えると、実はそれはものすごく少ないことが解る。ぼくはそれを必要だから買っているのでは、おそらくないのです。たぶん不安だから買っているのでしょうね。

で、結婚が終わってない理由は、簡単に言うと彼女がなぜか離婚に反対してて、別れるには裁判を起こすしかないからです(籍を入れてることで彼女にいったいどんなメリットがあるのかさっぱり分かりません)。調停というやつは2回やって、それが既にいろいろ疲れるものであったことから考えて、裁判はたぶんそうとう面倒だろうなぁと推測され躊躇しているのです。いま気付いたんですけど、裁判の時に証拠になりそうなあれこれも、もはや処分されてしまって何もないですし……。しかし、数年の別居という実績があれば、事実上の離婚状態とみなされ、簡単に離婚を認められることもあるらしい、と聞いたので、そろそろどこかに相談してみるか…とは思っています。しかしお金かかりそうだよなー。

こんなふうに放置してても、別に大したデメリットはないんですよね。年に1回税金絡みの書類に彼女の名前を書くだけです。それでいくらか控除とかあるんでしょうけど、調停で決まった生活費◯万円を毎月送ってるのできっとマイナスです。ていうか、彼女の家=元の家の光熱費も通信費も、いまだにぼくの口座から落ちてるんですが。彼女が携帯のキャリア変えたときはさすがに新規の引き落としは拒否らせてもらいましたけどね。

というわけで、面倒くささ>お金、の状態なので、いまだ離婚に至ってないのです。送金し続けてる生活費の額を合計するとちょっとあちゃー、という気持ちにはなるんですけど。でも面倒。