すべての夢のたび。

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シミュレーション仮説をめっちゃ雑に理解したい


わたしたちはマトリックスみたいな作り物の世界に生きているのではないか。それともそうではないのか。誰しも気になるところですよね。ほんとか。

「世界はシミュレーションである。そうに決まってる」ということを証明してやんよ、という理屈を初めて読んだ時は結構ショックを受けました。それはこんな感じでした。まず唯一の現実が1個あるとします。そしてその中で世界のシミュレーションができるとします。シミュレーションの中にもまたシミュレーションを作れるから、現実が1個しかないのに対してシミュレーションの数は無限ってことになる。1対無限だから、「確率的に言って」我々はシミュレーションの中に住んでいる、という。

うむ。それに対して「我々はシミュレーションの中に住んでいるのではない」勢はいったいどうやって反論するのか?

……と思ったら、「我々の世界はシミュレーションするには複雑すぎる」という理屈でした。Oh.... そして複雑なものの例が挙げられています。

「複雑すぎる」というのは反論になるのでしょうか。そもそも、複雑でめんどくさいところはすっ飛ばして適当にざっくりやって全体を理解しましょう、というのがシミュレーションの趣旨じゃないんですかね。いやそれはシミュレーションに対する雑な理解か。

でもめんどうなところを適当にやるのは可能ですよね。すると、反論側は「いやいやぜんぜん適当なんて言えるものじゃないよこの世界はそこんところめっちゃキッチリやってるよとてもとても計算でやれるレベルじゃないよ」というのが立脚点なのでしょう。

確かに、マインクラフトの中でコンピュータを作っちゃった人もいるように、シミュレーションの中にシミュレーションは作れますが、「中にあるものは必ず外にあるものより小さい」はずで、シミュレーションの中のシミュレーションの中のシミュレーションの中のシミュレーションの中の……という繰り返しがインセプションのように進むほど、ほんとは精度は雑になっていくはずです。(基底現実が「無限に複雑」なら中のシミュレーションも「充分に複雑」なのかも知れませんが)

つまりこれは「計算できないものはあるのかないのか?」の戦いなんですかね? カオスはほんとうに計算できないのか? 1年後の天気はほんとうに計算できないのか? 充分なリソースがあればあらゆるものは計算できるんじゃないのか? この宇宙ぜんたいより大きなコンピュータがあればこの宇宙は計算可能なんじゃないでしょうか?