すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

脚を動かせ


知ってる人はもちろん知ってる、知らない人(むかしの自分とか)も聞かされたら「なるほどそうだよなー」と思うたぐいの知識なんですけど、人間の筋肉の多くの部分は脚にあるのだそうです。

まぁ、見りゃわかりますよね、ふともも、ふくらはぎ。そりゃ腕より太いし、胴体にそんな頻繁に動かすような筋肉はついてないですよね。脚を動かすのが一番カロリーが消費されるのだ、とダイエットやってたころに読んだ。

アダミ氏らの研究チームはマウスの後ろ足を運動できないように28日間制限し、それにより生じる影響を調査。なお、後ろ足の動きを制限されたマウスには食事が満足に与えられ、毛繕いも通常通り行われていたため、特にストレスを感じている様子はなかったことが報告されています。

後ろ足の動きを制限されたマウスは制限を加えられなかったマウスと比較して神経幹細胞の数が70%も減少していることが判明。

まぁ簡単に言うと脚を動かさないと脳が衰えます、という。よく聞く話ではあります。おじいちゃんおばあちゃんが脚とか骨折して歩けなくなったらとたんに耄碌しましたみたいな。「耄碌」とかふだん書く機会ないし絶対書けないなこの単語。

なんで脳?って思うかも知れませんが、それは大量の筋肉の動きをコントロールするためには大量の神経が必要ですみたいな理屈なんじゃないかと思います。どなたかも「脳を鍛えるには運動!」みたいな本を書かれていたような。

それでぼくも「また自転車でも乗る?」って思ったんですけど、自転車に乗るということはぼくには酒を止めると同義なので、いまのところは検討中です。自転車でも飲酒運転は厳禁ですからね。エアロバイク的なものでも買ったらいいのかな。

慈善活動に不熱心な人


ほう、深いことを言ってそうなデタラメに感動してしまう人は慈善活動に不熱心なのか……。いやこれ、要約できないからそのまま書くしかないでしょう。

以下、例として挙げられている文章です.

  • 隠された意味が抽象的な美に変化する
  • 健康と忍耐が将来の創造性を提供する
  • 川の流れは岩を切る。それは川の力によるものではなく、根気のよさによってである
  • あなたの教師は扉を開けてくれるが、そこから歩き出すのはあなたがするべきだ

このような文章を14個、デタラメとそうでないのと7個ずつ読まされた被験者に去年のチャリティーへの寄付を聞いたところ、デタラメを好んだ人のほうが寄付が少ない、という有意な相関があったそうです。ちなみに上の2つの文章がデタラメです。

そして、

「私たちは調査結果を分析した結果、デタラメな文章と含蓄のある文章を見分ける力と慈善活動への意欲の間に相関関係を発見しましたが、どのようなメカニズムが根底にあるのかは説明できません」とエルランドソン氏は話しました。

とのことです。いやいや、エルランドソン氏さー、そもそもあなたがこの実験を企てたのはなんかの直感があったからですよね?? なぜやろうと思った。そこ説明してくれないともやもやしたままで終わりなんじゃがー!という感じです。

しかし、ぼくにはデタラメもなにか意味のあることを言ってるように見えなくもないです。というか、デタラメというより「耳に馴染みがない」と言ったほうが適切な気もします。下の2つの文章も、意味がある文章と言うよりは前に聞いたことがある話、知ってる話の変奏にすぎないと感じます。ただそれが寄付するしないにどう関わってくるのかはわかりませんけどね。もしかしてシンプルに、頭いい人のほうが寄付する傾向が強いとかだったらどうしよう。

iPhoneが見つかる

大阪でなくしたiPhoneが見つかったと連絡がありました。見つかるもんなんですねぇ。SIMの番号から持ち主を特定できたらしい。

たしかにiPhoneというのは拾ってもどうしようもないんですよね。アクティベーションロックを解除しないと初期化できないから、使えないし売れないわけです。つーかiTunesにつないだ時点でデータがAppleに送られて位置がバレるし。分解して部品にして売る手口とかあるんだろうか。

しかしなくしたのは10日で警察に届けられたのは14日だったそうです。そしてぼくが11日に回線停止するまで1GB以上パケットが使われていました。つまり拾った人はiPhoneは足がつくということを知っており、SIMだけ抜いて他のスマホで動画を見まくったか何かをしたのではないかと思います。そして使えなくなったSIMをご丁寧にiPhoneに戻して、推測ですが、またどこかに置いたのではないでしょうか。それを別の人が届けたとか。

大阪まで受け取りに行くのは困難なので聞いたら郵送してもらえるらしいです。自分の住所を証明する書類のコピーが必要。

さて、まぁ、戻ってくるのは素晴らしいですが、戻ってくるわけねえと思ってすぐ新しいiPhoneを買ってしまったので届いたら売るばかりですね。いやまぁ数万円でも回収できるなら嬉しいことです。パケットは使われてはいるけど拾って捨てなかった人に感謝するしかありません。そして旅先でスマホなくすほど飲むのはやめるべきだと思います。

Hypocognition


Hypocognitionが問題らしいです。例が面白かった。

レビーはタヒチの言葉を26カ月にわたって勉強した際に、タヒチには悲嘆や罪悪を表す言葉がないことに気づきました。タヒチの人々は、身近な人が亡くなった際に「悲しい」という表現ではなく「気分が悪い」「変な気分」という表現を使ったとのこと。レビーは、悲しみについて考えたり表現する枠組みの欠如が、タヒチの人々の高い自殺率の一因であるとみています。


悲しみは動物に存在する基本的な感情だと思います。人間以外の動物に言語が存在するのか知りませんけど、人間なのに他のほとんどの民族が持ってる言葉が存在しないって結構すごいですよね。まぁだからと言ってそれが高い自殺率の一因だってのは飛躍しすぎの気がしますが。

およそ3分の2のアメリカ人にとって複利の概念はHypocognitionであり、3分の1のアメリカ人にとって2型糖尿病もHypocognitionです。


権利がHypocognitionってヤバいですね。ぼくも権利の概念をどこで獲得したのかはわかりませんが、おそらく子どものころにはそれを知っており、それを「権利」と呼ぶのだ、と知るのはその後だったんじゃないかと思います。2/3のアメリカ人にはそういった経験がないということなんでしょうか。

2型糖尿病がHypocognitionってちょっとHypocognitionを乱用しすぎじゃないですかね(笑)。体の調子が悪いのが実は何かの病気でその名前を知らないだけ、ってふつうにあると思います。

例えばヤーガン語には「同じことを望んだり考えたりしている2人の間で、何も言わずにお互い了解していること(2人とも、言葉にしたいと思っていない)」という意味を持つマミラピンアタパイという言葉が存在しますが、マミラピンアタパイという表現を持たない文化の人々は、気持ちを表現することが難しいはず。


これは日本語に該当する言葉があるような気がします。マミラピンアタパイ。

また、赤ちゃんを見ている時のような、「かわいいものを抱きしめたい時の避けがたい衝動」は、タガログ語で「ギギル」といいます。


これは日本語で言う萌えに近いんじゃないでしょうか。重なり合う部分はあると思う。

一方で、Hypocognitionへの反応が逆方向にふっきれると、今度はHypercognition(過認識)という状態になる可能性があるとのこと。


Hypercognitionて「新型うつ病」みたいなやつですかね。昔はそれを表す言葉がなかったけど名前が付いたら扱えるようになって増えちゃったという。

結局は程度問題なんじゃないですかねーと言う気も。タヒチみたいに悲しみに相当する言葉がないとちょっと困る気もしますが、日本語で言う「幽玄」の感情を翻訳できなくても別に困らないのではないでしょうか。HypocognitionとHypercognitionはひとつの概念の両面なので2つも言葉を作らなくてもいいのでは。

しかしHypocognitionってメタな概念ですよね。語り得ないものに名前を付けたので語り得るものに変わってしまった。タヒチの人にもそれってHypocognitionって言うんですよって言えるようになってしまったという。

言っていいこと悪いこと


ぼくなんかは笑ったんですけど、いろいろ文句言ってる人もいましたね。セクハラやんけ、とか。それに昨今だとLGBTがどーたらで、この人もLだったりBだったりする可能性もあるのでは、みたいなことも考えられるかもしれません。

でもあまりに気を遣いすぎるともうなにも言えなくなってしまうわけです。なにを言おうが、「傷ついた!」と言う人はいるので。

それで、ではどうしたらいいのか?というと、結局は関係性なのかなと。この入国審査官はジョークのつもりで言い、この女性もジョークとして受け止めた。そこには問題はないわけで、無関係な人が「セクハラだ」というのは大きなお世話でしかないんだなぁ、ということでいいんじゃないかと。

でも相手が不快に感じるかもしれないではないか、という問いに対しては、「そう思うなら言うな」ということです。ここはコミュニケーション能力とか人間力(笑)とかそういうのが絡んでくる話だと思います。相手を見抜けないなら余計なことは言わないのが安全だ、というだけです。この入国審査官の人はまぁ、場数を踏んでいてそういうことが起きなかったわけです。過去には地雷を踏んだこともあるのかもしれませんし、これからもあるのかもしれませんが。

こういうのは今まで、場所・時間がずれて個別に起きていたのでしょうけど、でもネットによりそれがすべて繋がって可視化されるようになってしまった。「遠くの知らない人に起きたことだけど、我が身のことだったら不快!」そしてクソリプぽーん、みたいな。いや、ほっとけや、みたいなの多いですよね。スルー力だいじ。

"人類史最大の英雄譚"


このムービーは知らなかったのですが。FGO配信開始3周年で作られたやつらしい。

Fateシリーズのおいしいところ詰め合わせみたいなやつなんですけど。でもさすがに最初のとか、見るのキツいですね、絵柄が。うん。だいぶうまくなったんだな……と思いました。

Zeroはアニメで見てた。月の聖杯戦争はゲームでやった、途中まで。その次のやつ、聖杯大戦とかはもうわからんなぁ。どのメディアでやってたやつなんですかね。そっからやっとカルデア、FGOですか。

このムービーはFateシリーズ知らん人が見てもいったいなんのことやら?なんじゃないかと思うんですけど、知ってる人が見たら神動画なんですよね。熱い部分だけ凝縮されてるような。まぁFateシリーズの手法がさぁ、ずるいわけですよ。ふつうの物語なら、それを語る中でキャラの魅力を出していかなくちゃいけないのに、Fateは古今東西の人類史の英雄、すでにキャラが立ってる連中をドカドカどんどこ投入して話を進める手法を編み出したわけです。

その手法がすでにヤバい上に筆力に圧があるのでめっちゃ面白いわけです、Fateシリーズは。合う人にはすごく合う。合わない人はしらん(笑)。どうですか今からでもFGOとかー。ぼくのフレンドコードはツイッターのアカウントのprofileに書いてありますので。

しかしまぁ人類史最大の英雄譚とは大きく出たなとは思うんですけど(笑)。奈須きのこ氏は将来アンデルセンやシェイクスピアみたいにサーヴァントになれるんだろうか。

TikTok入れてみた

「入れてみた」です。「始めてみた」ではありません。動画投稿なんてするわけないじゃないですか。見る専です。

いやーこれすごいアプリですね。おすすめ動画を延々見ていられる。投稿者が極端に偏ってる。おすすめに学習機能があるのかどうか知らないですけど、ぼくが見てるとほとんど女子高生〜20代前半くらいの女子の動画しか流れてきません。たまに男子とか猫とか出ますが全体の10%もない感じ。で、女子も可愛い子しかいないというか、これ自分の顔に自信ないと投稿できないですよね。

おそらくほとんどの人は成人してから現実の女子高生の顔をまじまじと見る機会なんてないと思うんです。いや成人する前だってそうそうないですわ。しかしTikTokは自撮り動画を投稿するアプリなので視線がこっちだし皆ニッコニコなんですよね。これは強烈な癒し効果的なものをもたらす感じがします。

でもLINEもインスタもおじさんおばさんが入ってきて若い人たちは逃げつつあるみたいな話を聞きますし、TikTokもどうなんですかね。確かにこれに投稿はしないだろうけど、見てるのがおじさんばかりだって気づかれてしまったらどうなるんでしょう。そりゃ想定外だろうなって思う。アイドルのつもりでやってるわけじゃないですもんね。

それはそれとしてみんな同じ顔に見えるんですけどこれフィルタがすごいんですかね?