http://d.hatena.ne.jp/./rulia046/20060304
わー。ええと、いまSWAN SONGやってるので書く時間がありませんっ。というのはどうみても言い訳なのですが。
「それはただの風邪」は支流みたいなもので、あまり気にしないでください。本流のほうは、考えてるんですが、うまくまとまらないのです。“文章力”は、ぼくは斎藤孝氏の「○○力」って言い方がキライで、先日のはあちゅう氏テンプレでも出てきてたのでそこを「ブログ文章力」とかしてみたくらいで、だからワザと嫌な言い回しを使ってみた、というところです。
あとでふくらませるかも知れないですけど、乱暴に書いちゃいます。ぼくも結局「本を読め」「他人の書いた文章を読め」に落ちついちゃう気がしてます。つまり、「文章のうまさ」なんてものは、明示できないんですよ。「うまい文章」があるだけだから。もしぼくの文章が多少「見れるものである」と思ってくれてる人がいるなら(少しはいると思う)、それは、ぼくが「うまい文章の書き方」を知ってるからじゃなくて、「うまく書けた」と自分で思えるまで、なんども直してるからなんです。料理に例えるのはやめといてスイカ割りで言ってみると、一発で仕留めるわけでなくて、「このへんだろ?」「このへんだろ??」って何度も棒を振り下ろして、当たれば、手応えでわかるだけなんですよ。スイカはだいたいここらにあるんじゃないかな?レベルは、最初から見当がつきますけどね。(で、その一連の作業を怠って、ちょっとかすったぐらいで止めとくと、見抜かれてしまうわけですが) 達人は一撃なのかもしれないですけどねー。それはわかんない。
あともいっこ。これはぼくのための考えごと(本人がその方向で理解しようとしていること)なんで、同意してもらえる結論を出そうとしているわけではないです。
「書きたいことがないけど、書きたい人」にぼくが優しくできない件ですが、そういう人は、おそらく何事においてもそうなんだろう、というか、もっと上位層のルールがあって、それにすべてが規定されてるんだろうと思ったのです。
http://d.hatena.ne.jp/./rulia046/20060302/p1
書きたいコトがない人は書くべきではない、では強すぎだけど。
書きたいコトがない人は書かなくていい、では弱い。
これ、ぼくは、こう直してしまいたい。
やりたいコトがない人は生きるべきではない、では強すぎだけど。
やりたいコトがない人は生きなくていい、では弱い。
ぼくは自殺肯定派で、「べっつに無理して生きなくていいんじゃなーい?」って思ってる人です。ぼくは世界を「選択の結果」として生きてる、生きることを自分で選んでいる、と思ってるんですけど、Sさん的な人は、世界を「義務」として生きてるんじゃないかなぁ。「生きるよう課せられてる」と考えている感じ。だから、趣味をつまんなそうにやれる、んだと思う。(でもそういう人に「生きるべきではない」とは言いませんよー。だってぼくの生活だって、その多くの部分は世界を義務として生きている人によって支えられてるわけですからね。うわーひでえ)
義務じゃないんだよー、ってどうひっくり返せるか。いやひっくり返さなくていいのかなぁ? ぼくが気になってるのはそのあたりなんで、るりあさんとはちょっとずれてるかも知れません。(つか「やればできた/でもやらなかっただけ」と「やればできる/でもやらないだけ」の違いのほうへは、まだ考える時間を回してあげる余裕がない)