イチニクス遊覧日記 : 「なぜこど」について
ichinicsさんより、昨日のエントリに言及をいただきました。
非難する人には2タイプあります。1つは、ぼくが反社会的なことを言っていると感じ、止めさせたいと考える人。もう1つは、すでにぼくの言う「コドモイラナイ戦略」を採っていて、メリットを享受している人です。
これは、ちょっと違うんじゃないかなぁ、と思いました。
実際に非難するかはわからないけど、この「子ども高コスト」に一番敏感に反応しそうなのは、「子どもは欲しいけど、状況的に無理っぽい女性」じゃないかなと思います。
子ども欲しいけど、相手がいない人。いても経済的に無理っぽい(妊娠→出産となったらそれなりの貯えがないと生活できないですからね)人。などなど。
けっこう痛い指摘ですね。目が離れてしまっていたので。そうだよなぁ、と思います。
フェミニズムとかの文脈はぼくにはさっぱりわからないので、そのへんとは関係なく思ってることを書きます。ぼくは、女性と男性で言えば、ほんとうにすごいのは女性のほうであって、男性というのは、まぁ取るに足らない性だと考えています。子供を産めないってのが、もう全然ダメだと。だから男ってのは、何かを遺そうと必死になってへんなものをこさえてみたり、山に登ってみたり、するんじゃないのかなぁと。で、育児も任せきりで空いてる時間に余計なことを考えて、科学が進歩したりするんじゃないかって思います。
本能、とかいう言葉はあまり使いたくないのですが、女性は、子供を作るとはいったいどういうことなのか、初めから知っているのじゃないかな、と想像します。対して男性は、それがなんなのかを知らない、ので考える。しかし考えてわかるような性質のものではないんだろうなと思う。例えば生まれつき目の見えない人が、ものが見えるっていったいどういうことなんだろう、と想像するように。でも結局それは絶対にわからない。わからないけど、でもこういうことでしょ?というふうに、わからないなりに、わかっているのと同じように振る舞うことはできなくもない。というあたりまでが、男性が「子供を作る」ことに関して迫れる限界なんじゃないかなぁと考えています。
自分もたぶん、もし「適した」パートナーがいて、その人が子供が欲しいというなら、ごくふつうに同意するんじゃないかなぁとは思います。まぁコストの問題は非常に大きいので、それを避けては通れないですが。しかし、今、の時点では、やっぱりそれはないなぁと。この歪んだ性格を裏に抱えたままだれかに近づくのってきっとよくないと思いますし(現にいちど失敗してるし)、と言って、なおそう、という気もまるでないので、なんだそりゃ「このままのぼくを受け入れてくれる」人がイイって甘ったれたハナシってだけですか?というようなことになってしまいそうな感じで嫌ですが、まずこのブログを読んでみて大丈夫なくらいな女性じゃないとダメだと思う(ってそれははてなの入社試験かなんかか)。だって世間的に見たら歪んでることであっても、ほんとうに思ってることを話せないまま一緒にいる、ってやっぱり気分良くないですし、そんなのは相手にも申し訳ないと思うので。
まぁ、そういう葛藤を抱えたままでもずっと一緒にやってく、って決心を一度はしたんですけど、別の理由で崩れたので、二度はやりたくないな、と。自分自身がひとりでいても平気な人なので、相手もそういうタイプじゃないときっとダメだと思う。
ってなんだかずれてますね。まぁいいか。
ちょっと「ある子供」を見た時(id:ichinics:20051215:p1)に、なんか私は一生「父性」を実感することはないんだなーとか、考えたてたことを思い出した。
いやいやまぁ、「なぜこど」を読んで、父性、って言われても、それはすごく特殊な人のアレですから! 世のほとんどの男性はもっとずっとずっとマシですから! と思います。最悪な例のひとつ、ですので。