すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ぼくが思うブログ文章術

ブログ文章術 : 自分を軸に書きはじめよう


本文は同意。読んで解るとおりうちのブログは、そのはじめから「ぼくは/わたしは〜と思う」だらけです。そもそもぼくの場合、エントリを書き上げての推敲時にまず、頻出する「と思う」を「と感じる」「と考える」「ような気がする」に散らしたり、省けそうならなるべく省く、というステップが最初に入るのです。だからこれらの言葉の使い方はおおむね同じと考えてもらっていいです。あとこれら以外の「と思う」のバリエーションがあったらご教授ください。


お題。ドラクエ知らない。DQFF知らないひとです。知ってればなんか書けるのかもなぁ。そして今週のお題はスルーされ気味?


ぼくは ゴーストが あらわれた! とおもった
ぼくは ああああが みがまえるより はやく ゴーストは おそいかかってきた とかんじた
ぼくは コマンド? とかんがえた
中略
ぼくは ああああは レベルが あがった! ようなきがした ようなきがした ようなきがしたようなそんな夕暮れ。

善き人の訪れ

24日のエントリの「通りすがった」さんのコメントより。

ぼくがこのブログを見て思ったことは、(最近の若い---30くらいから下の人に一般に言えるかもしれないけど)経験の幅が狭い割には、そのことに対する認識があまりなくて、自分なりの「結論」を出そうとして、かつ傍目からは過剰な自身を持っている気がします。


ぼくがこのコメントを見て思ったことは、(最近のもう若くもない---30をとっくに超えた人の一部だけなのかもしれないけど)結婚して、子供を作って、外国人の友人もいて海外で暮らしたこともあって、そこまでの経験があってさえ、まだ自分なりの物の見方も自信も持てないんですか?ということかなぁ。


ていうか「通りすがった」さんは、先に答えを持ってから話してますよね。だいたいぼくはこのブログに自分の過去の経験はそれほど書いてないし、通りすがった人がそういうわずかな過去ログまで漁っているとは思えない。「書いている内容が甘っちょろい」→「経験が浅いに決まってる」って決めつけが先にあるのに、順序を逆にして「経験の幅が狭いからそういうことを言うのだ」と言っている。経験が豊かならこんな文章は書かないはずだ、というふうにしか「考えられない」のですよね?

じゃあ経験が深いってなによ?っていうと、そこはちゃんと逃げを打ってあって、「勿論、それだけが特段大事なことでもないですが」「なんで、子供を持つとか、海外に行くとかいう具体的事象に捉われてしまうんでしょうね?」というふうに、つまり「何をやった」と言おうが「まだ足りないんじゃね?」と言える仕組みになっている。まぁ上に書いたように結論ありきなのでしょうがないですが。

でも、「その辺がなんというか、そうですねー一言で言うと、ほっとけないほど危なっかしいというか、そりゃないだろうという感じですね」という、この「善意」(おせっかい、とルビを振りたい)はぼくは嫌いではないです。ただ、このブログを書いている人はあまり改悛の情を有さないので、そういう善意は他の人に回してあげた方がいいですよ、と考えます。届かないのでもったいないです。


単純に、ぼくはもう、他人の手を煩わせずに自己承認ができる人になった、というだけなんじゃないでしょうか。もちろんそこに至る前にはそれなりの経験も積んだ(というか、自分の過去を振り返って「まぁよくやってきたよなぁ」と思えるようになった)し、過去に他人から承認を受けたことがあるからこそ、いま自信を持っているんじゃないかなぁ?と思います。

つか、自分が「幸福だ」と現に感じている時に、他人から「いや、お前の境遇から考えれば幸福であるはずがない!」とか言われてもどうしょもないですよねぇ? 現状を正しく認識して幸福感を捨てるよう努力するべきなのですか? (ああ、善はそれを要求するんだ)