すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

宗教がキます

CNET Japan : 次のキラーアプリは宗教か?--盛り上がりを見せる「教会関連技術」市場


やぁ、宗教でしょう。ぼくは昔からそう思ってましたよ?昔から宗教楽しいよ宗教、ゲームばっかやってないでどう?とか言ってオタ仲間に変に思われてたし。 このブログでも、どうやったらプログラムに聖性を付与できるだろう?とかわけわからん記事書いてたし。


ぼくについては“ある程度「こちら側」の人間と話ができる「あちら側」の人間である”という認識がほんとうはいいんじゃないかと思います(「あちら側」は、ウメダモチオ2.0的な意味ではなく、彼岸とかあの世って意味で)。ぼくにとっては、オタク趣味は第2のものでしかないのですほんとは。ほんとか? でも事実結婚するときはいったん「モノ」は全部処分したしなー。第1に好きなのは哲学・宗教・精神世界系なんです。ただそういうことを話せる気の合う人が周囲にいなかっただけです(宗教系はたいてい、超信じちゃってる人か、まったく受け付けない人、という2通りしかない)。ここでは割と好き勝手言ってますけど、オフラインで宗教話したら、ヘタするとオタ話よりヒかれるでしょうしね。

毎週日曜の午前中は教会に礼拝に行って、午後は別の宗教行ったりしてた時期もありましたね。そして教会に通おうと思った理由が「P.K.ディックの『ヴァリス』『聖なる侵入』をより深く理解したかったため」ってのがバカですが。オウムも遊びに行ったし統一教会も遊びに行ってその後つきまとわれたりした(めんどうだった……)。いまは特定の宗教に通ったりはしてません。それは、仲介とかなしで自分でやったほうがええんちゃう?というふうな考えになってきたからです。そして最終的には1人1宗教を目指すのだ。目指すってなんだ。


キリスト教国家とかイスラム教国家とかじゃなくて、なかば無宗教みたいな日本に住んでるからこそ、あえて宗教に身を投じてみるのは面白いと思いますよ。賭け事はbetするものが高額なほどスリリングなわけで、なら人生すべてを賭けてしまう宗教がつまらないわけないと思います。ただやっぱり、実際行くなら現実世界へのアンカーは必要かと考えます。理解のある、偏見のない、その手の事情に詳しい知り合いでもいて、いつでも相談できるのがベターですが。そして行くならなるべくトラッドな宗教がいいと思います(ふつうのキリスト教会とか。お寺はよく知らない)。新興宗教、特に教祖や教祖を直接知る人間がまだ生きてるようなヤツは、初めての人は避けた方が無難な気がします。見分けるのが難しそう。

カメラを橋から落としてみたい

 【ロサンゼルス2日共同】自殺の“名所”として知られる米西海岸サンフランシスコの金門橋から飛び降りる人々の映像を含んだドキュメンタリー映画が米国の映画祭などで上映され、自殺のほう助に当たるか防止効果があるかで議論を呼んでいる。
 「ザ・ブリッジ(橋)」と題した約1時間半の映画は1年間にわたり、金門橋の近くから毎日撮影された。約20人が欄干を乗り越えて飛び込む様子をとらえたショッキングな映像のほか、自殺者の親族などへのインタビューで構成されている。


幇助? 飛び降り場面の上映が幇助に当たるってこと? 「いままさに飛び降りようとしている人を見ていながら何もしなかった」ってほうは別に問題にはならないのか。

集金スキル

ISL・六本木だより : 【寄付を】募金箱は透明にしてよ!【しました】

「募金箱は、『透明の箱を使う』『最初から中に、少しお金を入れておく』が基本です。
 その違いについては、下記の記事をお読みください。
 http://blog.livedoor.jp/zumizumi2000/archives/13185760.html


すごい。ちょっと感動した。はてブを見てなかったらおそらく得られなかった知識だ。

今日はうるるんデーか?

煩悩是道場 in CNET Japan


すご、CNETデビウ。頑張って下さい。(はてなのほうも(いきなりそういうこと言う?))


煩悩是道場 : オレと松永さんは真っ向からぶつかっていたんだ、と気付いてみる


あー良エントリだ、と思った。ぼくがはてブ使ってたら絶対ブックマークしてますので、+1カウントして下さい(?)。

ウチソトの話はありますよねぇ。ぼくも、「お前ら宗教“やった”こともないくせになに言ってんだ……」って言いたくなるとき、ありますもん。まぁ言わないけど。てかぼくが本物の信者?だったことがあるのかというとそれも怪しいけど、それでも、どれだけ話しても絶対通じないことってあるんだよなぁ、ってのを実感として持てたのはいい経験だったと思う。ウチはウチだけでちゃんと理屈としては成るようになってんですよね。


ululunさんは「宗教は総体表現できないと考えている」と書かれてますけど、ここはぼくとの違いで、多分ぼくは、できる、と考えているのだと思う。まぁ宗教びいきなので。どうやるのかというと、「煩悩是道場」を更に進めて「煩悩即菩提」でいいんじゃないの?と思ってるわけです。ウチソトなし、すべてをウチにしてしまえ。世界をいまのままありのままで全肯定できるロジックを探している、のが、ぼくのブログなんじゃないかと思います(「みちアキ教」に改題するか?)。いやあ遠い遠い。

兎に角、自分としては宗教の総体表現が存在するとするならば「何かの宗教を信じているのに、クリスマスと正月を祝えてしまう日本人」がその回答なんだろうなあと漠然と思ったりもしています。


同意ー。日本人は可能性あると思うけどなぁ。特定宗教の信者ってわけじゃないけど、何か(おそらく、よいもの)を信じてますもんね。宗教紛争の仲裁とかで国際社会に貢献(およそぼくらしからぬセリフですが)できるんじゃないかと思ったりしてます。


追記:過去記事より、「世界の全肯定のやりかたの一」(または、「なぜみちアキは人の言うことを聞かないのか」)