すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

あの鳥はまだうまく飛べないらしいですが

AV Watchの記事を見て、勢いでAIR Blu-ray Disc BOXを注文してしまった。お酒は怖いですね。工場萌えなDVDも届いたのですがまだ観ていません。両方ともこの年末年始で観たいと思います。

つーか外、大雨だし雷鳴ってるし何事?みたいな天気です。そんで明日は最高気温20度になるとか。

惜しい

import otsune from Hatena : 「id:otsune=id:C_L=むり・くりさん」ではないですよ

# peh01404 『見苦しいですね。例えばこのブログの背景の六角形のデザインと「むり・くり」の六角形のデザインは酷似していますね。
RSSリーダーの名前がPlanetですね。C_LがやっているRSSデータを収集しているニュースサイトもPlanetですね。
まだ、確信した理由はいくつもありますよ。
なんなら追記で、確信した理由を全て列記してもいいですよ。本当にそれをあなたは望みますか?
泥仕合は本意ではないので、これで終わりにします。』


六芒星だったらユダヤの陰謀だったのになぁ。せっかくここまで来て。

追試や反証ができるものが科学、と言っておいたほうがいいと思う

はてな匿名ダイアリー : 科学とは「ナゼ」を追求するものではないのか

俺にとって「反証可能であるか」「追試可能であるか」どうかなどどうでもよく、
血液型性格判断も、マイナスイオンも、ゲルマニウムも、水への言葉も
「ナゼ」「どのような仕組みで」と言う部分をすっとばしているから「科学ではない」ではない。と言いたい。
「理由はよく分らないのですが、こうするとこうなります」
ではただの経験則であって、万人に通用するかは分らない。


それではマズい気がします。以前「「とげとげ」と「ねばねば」のはなし のつづき」という記事を書いたのですが、その一部を抜粋してみます。

ここで、「もうこれ以上分割できない」という最小の粒子がついに見つかったとしましょう。すると、私たちには「“それ“(最小粒子)がいったいなんであるか」はわからないのです。だって分割できないってことは「内部構造を持っていない」わけですから。“それ”について言えることはもう、なにもないということになるのです。「水素原子は陽子1個と電子1個からできている」とは言えますが、「最小粒子」についてはそういう言い方はできないのです。“それ”とは“そういうものだ”と考えるしかない。“それ”については他の粒子との関係によってしか記述できない、ということになります。


「ナゼ」「ナゼ」と繰り返し問い、どんどんその仕組みの根源へと遡っていくと、いつか「これ以上もう説明できない」という地点に辿り着くわけです。説明できるのなら、それは「より“小さい”仕組み」からできあがっていることになりますから、そこが根源ではないのです。

要するに、「ナゼ」「どのような仕組みで」をすっ飛ばさないのが科学、とするなら、科学は「科学ではないもの」の上に乗っかっていることになってしまうわけですよ。それはいかにもよろしくないように思えるのですが、いかがでしょうか?