すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

Inhuman Behaviour

さて、恋愛相談室を閉めてまいりました。


あまり深い回答が出てこないですね。そういうものでしょうか。仮説ですが、これは、「なぜ人を殺してはいけないのか」より、社会的に強いタブーなんじゃないかと思いました。「同じようなタイプなら他の人でもよかったのではないか」、と問うのは。その問いに、答えを出すのは。タブーの力が強すぎて、考えようとすると、ブロックされるんじゃないのか? (おそらく、ここまで言っても、なんの話をしているのか、わからない人もいるでしょう)

ごくふつうに言って、たとえば日本国内でも、自分と釣り合う年齢の異性は、数十万〜数百万?いるわけじゃないですか。そのなかで、恋愛関係の候補として出会うのは、数万分のイチとして。どう考えても、出会うこともなかった多数のほうに、今の相手よりよい相手が存在する確率が大きい。たとえ関係は出会ってから作っていくものだとしても、初期条件、スタートがいいほうが、よりよい関係に発展する可能性が高いでしょう。

……というようなことを、言いだしてはいけないのですね。人殺しと同じで、みんながそんなことを考え、実行に移し始めたら、社会が成り立たなくなる。人を殺そうなんて機会は普通ないけど、恋愛の機会は誰にでもある。もっといい人がいるはず、なんて、考えない方が、社会がうまく回るのです。で、まぁ「運命」など持ち出して、とりあえず説明つけとく。

というか、そこまでもいってないのかもしれないな。みな、自分が思っているよりはるかに許容範囲が広く、ある程度以上のマッチング係数を持つ相手となら、充分一生うまく付き合っていける能力を、全員が持っているのかもしれない。そしていちいちつまらないことで悩まない、悩んでもはまらない、抜け出せるようにできているとか。


もうひとつ、考えていたこと。例えば、付き合っている相手が事故に遭った。半身不随。顔に傷。性格まで変わってしまった。そういうとき、付き合い続ける? 付き合うのをやめる? でも、もし相手が「最初から、そうだった」ら、付き合い始めたと思う? 最初からそうなら付き合わないけど、事故後の相手とは付き合う、というなら、それは何の差なのか。相手を好きなのではないのではないか? それは、自分の中の相手の幻影や、自分の中の相手との想い出、そういうものを守りたい、否定したくないだけではないのか? (つまり、人を好きになるとは、何を好きになることなのか?)


というような話に発展させられそうなほど、深い回答はなかったかなぁ、という感想です。


ちなみに16番の回答へのコメントは、ネタではありません。ケンカの最中に言いました。「違う…」って、泣いてましたけど。伝わらないというのは、悲しいことのようですね。