すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

件の質問を巡るあれこれ

パソコントラブル出張修理・サポート日記 より なぜ自殺してはいけないのか。
笹本さん(gea01001さん)、ここ「オフィス・オービットのオフィシャルブログです」って書かれてますけど、こんな記事載せちゃっていいんでしょうか?

で、まず、これの前にもちょっと書いたものがあるので、参考までにお読みください。

よくよく考えたら、「自殺をしてはいけない」とは誰が言っているのか?


誰が言ってるんでしょうね。言ってないのか? でもなんとなく、「自殺防止キャンペーン」「自殺予告の書込をプロバイダが情報開示」などというニュースを聞くと、「いけない」がとっくに前提なんだろうなぁ、と感じます。

2回目の解答でも少し触れましたが、本当に「自殺したくない」と思わせるためには、「死んでしまえば関係ない」と思わせない、つまり「死」が自分自身の現世との関係の清算にならない、と思わせなければなりません。


どちらかというと、北風より太陽(あなたはみんなとつながっている、だからだいじょうぶ、とちゃんとわからせる)の方がいいんじゃないかなぁと思います。

具体的には、「死後の世界」あるいは「輪廻転生」において、「自殺者にはとんでもないペナルティが課せられる」ということが証明できる、あるいは自殺された側の人(生き残った人)が死んだ人間にそういった重いペナルティを課すことができる、となれば、誰も自殺しようと思わなくなるでしょう。


脱線します。思うんですけど、誰も「死」のほんとうをわかってないですよね(もちろん、わたしもわかっているとは言えませんが)。しかし、例えば「自殺者は写真と生前の全ての行状を全国紙で公開」とか「自殺者の墓は刑務所内に立てられ、永久に誰にも顧みられることはない」というふうにするとして、これを「死後のペナルティ」と感じられるなら、その人はわたしよりも「死」がわかってないなぁ、とは言えます。「死んだら終わり」なら「死後」なんてないんですから。

ここでも述べられている通りで、主語がない質問は、得てして回答者を混乱させることになります。


主語がないことには2つの意図があります。1つは、主語がなければ回答者自身が自らに適切な状況を設定して語るであろうこと。つまり、いちばん自分にとって想定しやすい位置から、身に引きつけた言葉を引き出してくるだろう、という考えです。もう1つは、あえて「主語なし」とすることで、「複数の立場を重ね合わせて語ることができる」日本語の可能性をスポイルしないですむからです。文章には必ず主語がなくては、なんてのは中学校あたりの英語教育の弊害なんじゃないの?と思ってます。


さて、「おしかり」を頂戴している箇所へのレスですが。

ただ、インターネットという場所は、ある種「善意」によって成り立っている部分が非常に大きいのです。
お遊びの範囲でならまだ笑って許されるかもしれませんが、あまりに度が過ぎた、それ(善意)を踏みにじるような言動や行動は、なるべくなら差し控えることが望ましいと考えます。


ネットの多くが善意で成っていることは同意いたします。ただ、んー、「なるべくなら差し控えることが望ましいと考えます」、このような語り口は、わたしは好きではありません。ここでわたしは「なぜ差し控えなくてはいけないのか?」と問うことができます。「差し控えろ」、そう言っているのは笹本さんですね。では「なぜ」か? 善意を踏みにじるから? そうかなぁ。わたしは、笹本さんが「私が嫌だから止めろ」と仰るのなら、少しスッキリするのですが。自殺の話でもそうでしたよね。結局は、「いけない」なんてことはなくて、ただ最後は「私が嫌だから」にならざるを得ない。どこにいるのかわからない「善意の誰か」にわたしを止めさせる責を負わせるのはどうかなぁ、と思います。

で、ごめんなさい。結局は言われても止めないんですけど。ほんとごめんなさい。むかし筋肉少女帯が『元祖高木ブー伝説 』で叩かれてたとき、大槻ケンヂが「心の中では泣きながら唄ってます」とインタビューで言ってた気持ちが少しわかるような気がします(わたしは泣いてないですけど)。善意を踏みにじろうとああいうコメントを書いてるのではなく、やむにやまれずああいうコメントを書いてるのでもなく、ただ、「ああいうコメントを書く人」なのです、わたしは。だから、「それによってあなたが損をするかも知れない」なんてのはとうに折り込み済み(=わかっててやってる)なので、そういうアプローチでは止まらないと思ってください。とりあえず、今まで(見ていた人から「失礼なんじゃないの?」と言われたことはありますが)回答者ご本人から「不快である」旨を聞いたことはありません。

「ポイントをあげたんだからいいじゃん」とか「釣られる奴が悪いんだ」とか「回答者が回答に費やしてくれた時間・労力は自分にとっては無関係だ」みたいな考え方で行動するのはよろしくないと思います。


そうは思ってませんが、でも「善意だから回答の質はどうでもいい」というわけでもないとは思っていますよ。