すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

良いひとも悪いひとも、良いひとがスキ。

みんなの予想を超えて より みんなの世界(2005/11/06の記事)

 死んだら終わりだと思ってる人は、ほかの人など自分が死ねば関係無いということなので、
 自分さえ良ければいい、他人など知ったことではないという考え方であるに違いない。
 そこで、いかに市井の人々がそう思っているかを明らかにすべく、以下の質問を投げた。


うーん。ちゃんと質問の動機は“「あの世や生まれ変わりを信じず、死んだらそれまでと思っている人間に対し、自分本位でなく利他的な動機で行動するよう仕向けるうまい方法はないか?」ということを考え”、“そのまえに「じゃ、死んだら終わりってことをはっきりさせないといけないな」と考え、例の質問を投げた”って書いてあるのですが。なんで人の心の中を読んでしまうのか。進藤さんが、「いや、みちアキは絶対、本当は自分が思ったように考えていたはずである!」と仰るのなら、仕方ないですが。

(追記:と思ったのですが、いま読み返してみると、進藤さんの言ってるような読み方に取る人のほうが多いかも、という気がしてきました。説明が足りなかったようです。わたしが「はっきりさせたかったもの」は、「市井の人々の考え」ではなく「死んだら終わりというのはほんとうはどのようなことなのか?」です)

 自分で、あいつらは死んだら終わりだとか思ってんだぜとか言いつつ、


言ってない、言ってない。“「死んだら終わり」ということを、容赦ない感じで説明してください”は、まず、回答者の立場はぜんぜん問うていません。終わり派でも続く派でも構わない。でも、この質問に回答する時は「終わりという立場から」説明して、ということなんです。

(追記2:わたしは「はてな回答者」は「大衆」ではないと考えていたのですが、意外と大衆だった、と認めるに至りました)

 「普通の人」はたくさんの人が生きている世界に参加している状態を生きていると考えるのであって、
 死んだらその世界から自分は退場するけど、その世界は他の人たちで続いていくわけですね。
 しかし、みちアキ氏は自分主人公のセカイがあって、そこに他の人たちも登場していると考えているわけです。
 だから、自分が死ぬとそこにいたはずのほかの人も消滅してしまうと。


ここが、根本的な問題で、たぶん、わからない人にはいっくら説明してもわからないんだと思います(そこをなんとかしたいと思っているのが「容赦なく説明して」ってことなんですが)。

 死んだらその世界から自分は退場するけど、その世界は他の人たちで続いていくわけですね。


「死んだら終わり」なら、これはNoです。(ここが、わかってもらえないところ)

 だから、自分が死ぬとそこにいたはずのほかの人も消滅してしまうと。


「死んだら終わり」なら、全員にとって、これはYesです。「あなた」は特別なのです。なんで、あなたの胴体はあなたの首から下に向けてぶらさがってるんですか? そんな人、他に見たことありますか?

 したがって、冒頭の死んだら終わりだと思っているのは完全に氏自身であるのに、
 それでいて、死んだら終わりなどと無責任な考え方はやめて、
 少しでも世界を良い方向に変えていこうと考えましょうと訴えたかったのによーって…。
 それはひょっとしてとんちがきいているのか。


1行目は違います。2-3行目は割と合ってます。とんちがきいているのか? ちょっと前に『わかりやすい倫理』ってのを書きました。良いひとにとっても悪いひとにとっても、良い世の中が住みやすいんですよ(ただし、良いひとの数は悪いひとの数より充分多い必要があります)。

 このままでは、単にアホで間抜けな「一般人」を馬鹿にしたいだけの人と思われても仕方ない。
 そこらへんをうまく隠して、誘導しようとしてたところに面白さがあったのに、
 どんどんクオリティが下がってきていると感じるのは僕だけでしょうか。


クオリティは下がっているのかも知れません。ご期待に添えず申し訳ないです。さいきん、あんまり「言いたいこと」がないんです。そこを無理して書いたものは、見抜かれますね、どうしても。やっぱり「世間にモノ言う」には何かしらの反発というか、ネガティブなエネルギーが必要な感じがします。いま、楽しくて、満ち足りてるから、そういうのがないんですよね。ですので反論の質も低いです。「通じてないみたいだけど、まぁいいや」とか思ってるから。すみません。