すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

以前書いたような気がすることについて

ymd-yの日記 より 感情と記憶

で、小学生ぐらいのときは、「思い出の少なさ」をものごころがつくのが遅かったのだろうと思っていたのだが、中学ぐらいになると、どうもそうじゃないらしい、と気づくわけで。反芻しないから記憶が薄れていくのだとはわかったものの、なぜ反芻しないのか、それはわからなかった。……と、こういうことを考えた、ということをおぼえているのは、これは反芻しているからで、たびたびこの疑問が浮かんだということだろう。考えた時期に関しては確認のしようがないのであやしいものだが。こういうことを、誰にも話していない――と、いうことは、これまたおぼえている。


あー。わたしもそういう感じです。過去の記憶がすくない人、らしいです(でもやっぱり、だれとも比較できないので、「らしい」としか)。


リフレッシュしないと忘れる、というのは、確かにそうみたいですね。記憶は、ときどき思い出してあげないと、どんどん薄れていく。わたしは自分の過去に興味がないのです、どういうわけだか。過去を振り返るとかない。他人の過去にも興味ないですが。うちの奥さんは、自分の過去には興味があるが、他人の過去にはない、という人でした。ですので、彼女は自分の過去を話すけどわたしはほとんど聞いてない。彼女はわたしの過去は聞こうとしない(聞かれてもあまり覚えてないけど)。そんなふたりだったので、世代は一緒なのに、彼女と「子供のころどうだった?」みたいな話をしたことは結局いちどもありませんでした(って過去形かよ)。


あと、発見したんですが(偉そうに)。以前、「なんで自分は過去の記憶が少ないんだろう」と考えてて、ふっと気づいたこと。「その場にいない」と、記憶にならないのです。「その場にいる」とは、我を忘れたふうになにかをやっていること。「その場にいない」とは、たとえば、考え事をしていること。考え事をしていた時間というのは記憶に残らない。「考え事をしていた」と「ひとことの記憶」になるか、その「考え」を「再生」することになってしまう。同じようなのは「音楽を聞いていた」とかもありますね。どの曲を聴いていた、というただの事実か、「その曲自体」を思い出すことになってしまう(しかも、曲自体を思い出すのには、そのフレーズ分の実時間がかかる。早送りで思い出してもいいんですが)。「本を読んでいた」のも一緒な感じです。「何かを思い出していた」というのも、多分同じなので、「昔はよかったなぁ」ってふうに「今に不満ばかりある人」は、未来の過去である現在の記憶がヤバいことになりますよ?

そんなふうで、わたしは、忘却したものも多いけど、昔から考え事ばかりしてたせいで、そもそもの記憶、記憶に残るような記憶自体が少ないのだ、ということが判りました。やべえ、いつか思い出すべき「想い出」がなくなってしまうよ!と思ってしばらく「書を捨てて町へ出て」いる時代があったんですが、でも別に記憶を蓄えるために生きているわけでもないしな、と思い直して、それからは気にしないことにしました。健忘具合はさいきんますますひどくなってる気もしますが、その場その場を楽しめればそれでいいんじゃないかなぁ、と。

と、思うんですが、思えない人は気をつけましょう。blogばかりやってると、あとで、いまを、「blogをやってた」「ブックマーク&コメントばかりしてた」というふうにしか思い出せない時代が来ます。(それか、ウケたネタやイベントを思い出すだけ)


というわけで、なんか昔読んだことあるようなようなエントリだな…と思われた方は、おそらくそうなのです。ymd-yさん、ネタ提供ありがとうございました。