すべての夢のたび。

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kiya2014さんへのレス

12/13に書いた記事id:kiya2014さんからコメントをいただきました。下に転載します。で、レスします。レスがちょっと長くなりそうだからこのさい記事扱いにしてしまえ、という以外の他意はありません。

こんばんは。

>秋葉原の現状について
確かに、「昔はよかった」という言説は、変化を否定することであり決して良くはないんですが、
現実問題として、じゃあ秋葉原に侵入してくるDQNと(排除するという意味でなく)
僕たちは闘えるのか、と考えると唸ってしまいます。
ネット上でこそうだうだ文句を言えますが、実際に現地でDQNが彼ら自身のルールを適用した場合、
僕らは結局のところ何も言い返せずに彼らに従うしかないのだろうと思います。
ちょうど、学生時代に僕らがそうだったように。

「アキバは終わった」的言説の裏側には、”変化を嫌う”以前の問題として、
このどうしようもない行(生)きづらさが感じられているのではないでしょうか。
だからこそDQN流入に僕らは反発する。そしてその反発はまったく力をもたないことも、
僕らは既に”絶望的に”知ってしまっているのでしょう。


さて。いろいろ考えたんですが結局、これならkiya2014さんは納得するだろう、という答えは出なかったのです。なので、ぼく自身のことを書きます。


まずしっくりこなかったところ。

  • 秋葉原に侵入してくるDQNと僕たちは闘えるのか
  • どうしようもない行(生)きづらさが感じられている

DQNの人と闘う、という発想はぼくにはまったくありませんでした。そしてこのblogをご覧になっている方々にはご存じのとおり、ぼくはほぼ毎週秋葉には行っています。で、自分の人生においても生きづらさを感じていません。(というか好き勝手やってます)


ぼく自身は秋葉原でとくに嫌な目に遭遇した経験はありません。が、もしDQNの人に何か言われたら、やはりkiya2014さんの仰るとおり何も言い返せないでしょう。が、うーん、それはそれで終わりかなぁと思います。その場と、そのあと、少しは嫌な感情を持つでしょうけど、べつにずっと尾を引くとかはない。ただそれだけです。

思うのですけれど、kiya2014さんは、どうしたいのですか? どういう状態を手に入れることを目指しているのでしょう。DQNの人に言い返せるほどの強さを手に入れ、勝ちたいのでしょうか? それとも、DQNの人を更生させたい? どちらも、なんとなく、違うような気はします。ぼくはDQNの人たちが彼らの送りたい人生を送ることになんの懸念もないですし、彼らに勝てるようになるために(自分に対し)コストを掛ける必要も感じません。


世界にはいろいろ、いろいろ問題があって、個別撃破をしていたらキリがないと思う。あるDQNの人を更生させても、別のDQNの人が来たらどうするのか? でも、ぼくはDQNの人と闘おうと思えないし、反発もまったく感じないですんでいる。それはぼくが世界を変えるより自分を変える方を選んでいるからだと思います(この選択は人によっては「逃げ」と映るでしょう)。結局、すごく陳腐な言い方なんですけれど、闘うその相手は自分なのだ、ということになってしまう気がします。ぼくに克服すべき点があるとしたら(あるのですが)、おそらくぼくはDQNの人をキリスト教的な価値観の逆転を使って「下」として見ている、憐れむことによってクリアーしている、のではないかなぁ、と感じるそのあたり、がぼくが闘う場所でしょうね。