すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「いただきます」の件

 《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》


給食費を払うとなんで言わなくていいんだろ?とちょっと考え込んでしまいました。

実家とか人の家で食べるときは「いただきます」「ごちそうさま」は言いますが、外では言わないですね。「ごちそうさま」は、レジとか、カウンターのすぐそこに店員がいれば言いますが。


ここからちょっと宗教くさくなります。


心の中では言ってますよ。自分の場合は、「いただきます」「ごちそうさま」は、その食事を作ってくれた人だけでなく、むしろ状況全体に対して言っているのだと思います。まず食べ物・飲み物。コーヒーを思うと、どっかもっと南の方の国(すみませんあいまいで)で、日の光を浴びて豊かに実ってるコーヒーの木、から現地の人が実を摘んでる様子、みたいのが脳内に浮かぶわけですよ(さすがに機械化されてるかも)。ミルクも同様ですね、牧場の牛が浮かぶ。そういうのが船や飛行機や列車やトラックで運ばれたり、どこかの工場で加工されたり。そうして最終的に、いまここで自分の手元に凝縮している。長い時間を掛けてものになり、採れた時間も異なるものたちが、地球上のあちこちからこのカップ、自分がそれを飲むこの一瞬を目指してやってくる、そういうラインが見えるわけですよ(毎回ではないけどね)。そしたら、ここにはなにか奇跡っぽいものがある、と感じます。

つーか今思ったけど、「それは単に小学生の社会科の授業なんじゃないか」という気がしてきました。まぁいいか。しかしお茶碗一杯のごはんだって、そこに盛られてる米粒が全部同じ田で獲れたものでもないわけじゃん。それがこの茶碗に集まってきてるのを、どう見るのか。や、さすがにそんなことには何も感じない人の方が多いですか? でも、特に動物には、ありがとうって言っておいた方がいいような気がします。トリブタウシ、サカナ、そのほか。ヘルシーで無農薬無添加で天然な自然食をただなんとなく食うより、松屋の豚めし(好き)を「ありがとう豚…」と感謝しながら食べる方がよっぽど健康にいいはずだ、とぼくは思ってます。