すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

多くの人の「生」は、単なる「死の準備」に過ぎない

なぜこど」へのp_shirokumaさんのブックマークコメント。(4/7 22:30現在)

はい、そうします。 ところで、老境になっても今と同じ気持ちが変わらないという、奇妙な(あり得ない)前提で話をしてませんか?


多くの人は、なんとなく確実、に、自分は平均寿命あるいはそれ以上まで生きる、と信じきっている。それはいったいなんていう宗教だろう?


多くの人は、老境まで生きる。だから未来へ向けていろいろと準備をする。お金を貯める。そのうえ万一のことがあるといけないので保険を掛ける。そして、その負担が現在の生活までをも圧迫する、という本末転倒な事態を引き起こす。別に刹那的に生きよと言っているのではないけど、「心配しすぎなんじゃないの?」とは思う。

多くの人の幸福は、よい生を送り、よい死を迎えることのうちにある。自宅、または病院のベッドの上で、愛する人や親しい人たちに囲まれたなかで世を去ることをこいねがう。ぼんやりとしか想像できていなかった自分の人生とその終焉。思い描いていたことのうちのいくつをやり遂げられただろう? しかし、まぁ、なかなかのものだったじゃないか? よくやったよ。こんなふうに平和に静かに終われるのなら、そう悪くはない。

そうやって、まさに最期の瞬間が近づいたその時になって、悪魔がやってくる。もう振り返るための時間も残されていないあなたの耳元で、そいつはこう囁く。


「なぁ、お前。ほんとうにそれでよかったと思っているのか?」


多くの人の恐れているのは、この悪魔の存在だ。こいつを追い払うため、死の床に舞い降りてこないようにするために、自分の人生そのものを供物として捧げてしまう。それが多くの人のやっていることだ。